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 「性」は所詮、人如きが扱える概念ではないのだ。


 というのも、科学的に定義可能な性は身体的性、つまり、性器の有無と種類による類別だけだし。他のあらゆる性は詰まるところ、人格と同じく、一つひとつが異なる、独自のものであろう。

 だから、それぞれすべてを相手が理解する形で記述するのは土台無理で、わかりやすさのみを求めたグループ分けや相関図の作成さえすべきではないように思う。


 ほら、私達は他者のそれはおろか、自身の(そう思い込むだけかもしれない)精神的性や社会的性も科学的に定義できないし、ましてや、愛や性欲のベクトルについて、自分の何の性が対象の何の性に向かうのかなど、説明し得ない。


 結局は「わからない」のだ。


 わからないものをわかると『偽る』がために、困難が生まれるのではないか。



P.S.

 余談だが、文中に言及したような身体的なもの以外の多様な性の在り様はまた、常時反証可能性がないが故に非科学的ともいえる。

 ただし、ある命題が「科学的か否か」と「正しいか否か」は必ずしもイコールではない。科学的でも誤っているものもあれば、非科学的でも正しいものもあり得る。つまり、科学性の有無によってのみでは その真偽を判断しようがないのである。



【 さ よ う な ら 】





私が自殺を遂げる前にサポートしてほしかった。