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二人の関係が、ずっと好きだった

一週間ほど前に書いたものです。
緊急事態宣言が出された今日とはまた異なる状況下で起きたことでした。

重たい内容が含まれ、長文となります。


3月は自分にとって初めてのことの連続で、
それを行動したことには意味があったと思う。

けれど、心の波は穏やかではない。

直感で一気に行動してしまう時と、
考えすぎて何も行動できない時の振り幅が大きく、
自分で気づかぬうちに疲れきってしまったのかもしれない。


そんな折、大きな出来事が起こった。

昨日、祖父が亡くなった。
あと半月で89歳を迎えるというところだった。

年末に一時危ない状態になるも、少しずつ回復し、
年越しは自宅で家族と新年を迎えることができた。
それからどんどん調子が戻り、最近では愛犬のお散歩ができるまでになっていた。

その日は足が浮腫んでいつもより調子が良くなかったそうだが、
祖母の作った鮭のムニエルも残さず全部綺麗に食べきっていた。

愛犬と見つめあいプリンを食べている祖父の写真。
叔母が撮ったその写真を、夜に母が見せてくれた。

その写真を撮影した8時間後、
祖父は天国へ行ってしまった。

オリンピックまで頑張るって言っていたけど、伸びちゃったから、
おじいちゃんの寿命も伸びたね!なんて写真を見ながら母と話していた。

いつかその日が来るとわかってはいたけれど、
心の準備なんて全く出来ていなかった。

3月はコロナの影響もあり、
不特定多数の人が行き交う場所に出歩くことが多い私は、
会いたかったけれど、高齢の祖父母の家に訪れるのを控えていた。

それが今となっては何よりも、何よりも悔しい。

急いで病院に駆けつけたときにはもう、
祖父の心臓は動いていなかった。







祖母は祖父に向かって、

本当にやさしい人だった
喧嘩も一度もしなかったわ
浮気ひとつしないで
生涯愛してくれた
ありがとう
お疲れ様でした

と声をかけた。

涙が止まらなかった。

祖母や娘二人(私の母と叔母)は、祖父のことをいつも
“お父様”と呼んでいた。

祖母は最期に名前で呼んでいて、さらに泣いた。


祖父は、本当に優しく朗らかで、いつもとにかくお洒落な人だった。
頭はずっとシャープで、世の中の情勢や株に詳しかった。
祖母と世界中を旅して、社交ダンスをして、
車が好きで、ファッションが好きで、ワインを愛していた。

わたしはお洒落でかっこいい祖父しか知らないけれど、
現役時代はネジ工場で社員を抱え、
現場主義で毎日を油まみれになりながら、
泥臭く働き詰めていたという。
そんな苦労は全く感じさせないやわらかさを持っていた。

私は友人にもよく言ってるので知っている人もいると思うが、
私の祖母はゴッドマザーだ。これは親族もみんな言っている。
でもその祖母が生涯愛した人なのだから、祖父はゴッドファーザー。


いつも祖母を立てながら、そばでずっと支えていた。
そんな祖父の食事をつくったり、お世話することもまた、
祖母は好きだった。

そんな二人が大好きだった。
どんなときもいつも二人で写真を撮る。
いつだってお互いを気遣い合い続けて、生きている。

そんな二人の関係が、大好きだった。

私の自慢のおじいちゃん。
「あ〜どうも!」
という会ったときにお決まりの第一声を忘れたくないし、
いつまでも娘は娘で、孫たちのお年玉とは別に娘二人にも渡していて、
なんなら孫たちより高いところも私は好きだし、
愛犬がちょっと臭うからって自分の香水ふりかけるところも、
来客があるときは家族であってもお洒落なシャツとパンツに着替える美意識も、いつもお気に入りの椅子に座ってヘッドホンをつけてテレビを観る姿も、


覚えていたい。残しておきたい。
いまの気持ちも。今の自分の状況だからこそ。
自分を奮い立たせるためにも。だから書いた。


私は初孫で、唯一の女孫だった。
おじいちゃん、いつも可愛がってくれて本当にありがとう。
ウエディングドレス姿、結局見せられなかったな。ごめんね。
本当に、おじいちゃんはずっとスマートでかっこよかった。


“仲良しだし、寂しがり屋な人だから、
私もすぐにそっちにいくって決めてるの。”

なんてびっくりする発言をおばあちゃんがしていたから、
それは止めてね、おじいちゃん。
私がおばあちゃんが寂しくならないように、たくさん遊びに行くからね。
よろしくね。



私の自慢は、おじいちゃん、おばあちゃん、私の3人で、
海外旅行に行ったこと。
もう8年くらい前だけど、今でも人生の宝物の思い出だよ。
その時に撮ったかっこいい二人の写真がお気に入り。


ずっと大好きです。たくさんたくさん、ありがとう。


2020.3.29
あなたの孫より


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後記)2020.4.7

コロナの影響でどうなることかと思いましたが、
親族だけの極々小規模で、
桜の花びらの舞う春の穏やかな陽気の日に、
無事見送ることができました。

世の中が志村けんさんの訃報により大きな悲しみに包まれ、
二重の悲しさに襲われました。

当たり前の毎日、なんてない。

命は本当に儚いものだと思い知らされました。

コロナに感染することによって、自分だって命を落とすかもしれないし、
大切な家族も危険に晒されるのだと、強い危機感を持って行動しなくては。どうしても集まらなければいけないと分かってはいても、親族で集まるのは怖くて仕方なかった。


今は精神的にも弱って免疫力の下がっているおばあちゃんに会うのは避けようと思い、テレビ電話をすることにしています。

本当は肩を抱いて話したい。寄り添いたい。

けれど、今はぐっと我慢。

一刻も早く、自分がウイルスかもしれないと思って大事な人も抱きしめられないような日々が終わりますように・・・・・・

心からそう願っています。









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