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今年学びたいこと ~たくさん経験し失敗する~

わたしが好きな記事をよく出してくれる國學院大學さんのお題「今年学びたいこと」を見て、学びたいことなどたくさんある、そもそも留学しているんだし、と思ったもののふと考えた。

わたしは、留学する前からいつも学びたいことがあり、常に何か没頭する対象があった。簡単にいえば、何か興味のあるものができ、はまりやすい性格なのだ。そしてとても飽きやすくもある。

なぜどうでもよいことを深掘りしてしまうのか、時間をかけてしまうのか、理由を改めて考えてみた。

そうするとあることに気づいた。わたしは学びを二つのステージあるはジャンルに分けていた。座学と実地による学びだ。
そして、わたしは実地による学び=自分でやってみる、に重きを置いている。

座学は当然やる。効率よく学べるし、独りよがりの勘違いを防ぐことができる。
ただ、それだけではあまり役に立たず、自分なりの価値が出せない。

ある考えが生まれた場所に行ってみる、そこで生活している人と話し、そこの食べ物を食べる。歴史、地理、気象条件も合わせて自分なりに仮説を立ててみる。
あるいは断食というものを体験してみるとか、ひげを蓄えてみるとか、その場所で人々が習慣として行っていることをしてみることもある。一見無駄に見えること、意味がなさそうなことをあえてやってみるのだ。

その過程で、知識を脱線させていって過去の人の体験談を調べたり、そこで出会う知らないことを調べたりもする。知識を複合化させて土台を広くする感覚だろうか。

そうしたプロセスを踏んでこそ、座学で得た知識は自らの知識となり、自分独自の視点ができる。

さらには、普通の人は本に書いてあるから本当なんだろう、専門家が言うから間違いないと鵜呑みにするところを、あえて自分でもやってみる時がある。
所与のものとして誰もがそのまま受け入れていることを、本当にそうなのか疑って試して見るのだ。
自分の目で見ることで、新たな発見があったりもする。

このプロセスはわたしの知的好奇心を満たしてくれるだけでなく、わたしの強みにもなっている。

今年学びたいこと

ようやく本題に入る。わたしの学びたいことは昨年に続き2つだ。

1.インドネシア人はなぜこのように考えるのか、行動しがちなのか、歴史、風土、宗教、経済状況などから整理していく。

インドネシア人と一言でいっても、実際は数百の民族と言語があり、宗教や風土もさまざまだ。
なので、実際にインドネシアの色々な場所に出かけ、そこにいる人たちと話をし、風土や宗教の違いが実際にどの程度影響しているのか、やっぱり変わらないのか、自分の目で見て考えたい。

2.単純に不足しているインドネシアに関する知識を増やす。

例えば、インドネシアの歴史一つとっても、ほぼ知らないと言って良い。イスラム教についてもほとんど理解していない。
ジャワやスンダといった比較的メジャーな民族についても、彼らの文化的な背景や風習をわかっていない。
そして何より、インドネシア語の能力の低さにより、情報収集力が低い。文献を読む、高度な話をインドネシア語でできるだけの語彙力がないのだ。
いくら現地に出かけて現地の人たちと話をしても、日常会話で終わってしまっては勿体無い。

実際に自分で見て経験することがなぜ大事なのか

わたしの52年間の人生を振り返ってみて、優秀な人間が山のようにいるなかで、どうして活躍の場が与えられ好きなことをやってこられたのか考えると、もちろん運や巡り合わせがよかったからに尽きるのだけど、なんだかんだ人と違うことをたくさんしてきたのが大きいと思う。

例えばルールが明確に決まっている競技で、かつ参加者も大量にいると、そこで上位に入りこむのは至難の業だ。
もともとの素質に加え、日々の継続した努力が求められる。
わたしは中学、高校と陸上部で中長距離をしてきたが、並み以下の選手だった。競技に身が入っていなかったし、惰性で続けていたところもあった。

でも例えば自転車で日本一周するとか、韓国一周するとか、試みる人がそもそもレアな事をすれば、簡単に上位者になれる。
日本一周なら、2か月くらい毎日100キロ以上自転車をこいでいれば誰でも達成できる。韓国一周に至っては2週間かからない。
試みる人が少ないのは、能力的にできないからではなく、面倒だし大変そうだからだ。
自転車は高くて買えないのであれば借りれば良い。わたしは2人の後輩に無償で貸した。1人は日本縦断、1人は台湾一周している。

日本一周してどうだったか、当時よく聞かれたが、わたしは「ただただ疲れた」としか思えなかった。当初思い描いていたような人間としての成長などなかったし、何かを得られた実感もなく、疲れましたという感想しか出てこなかったのだ。

それは、日本一周した人にしか分からないし、言えない言葉だ。
自分でやってみることで、他の体験者が語っていること、感じたこととは全く違う自分なりの意見を持つことができ、それは事実に基づいているから揺るがない。

なんのリターンも得られないことをするなんて無駄じゃないのという意見や、タイパが悪すぎるという意見があると思うし、それが大多数だろう。
逆説的だが、無駄に見えることをやるのがいいのだ。
特に能力が並みの人にこそ言いたい。タイパがいいことをやって、優秀な人に勝てるんですか?と。

おそらく多くの人が無駄だというからには、試した人もいっぱいいるかもしれないし、無駄に終わる可能性は高いだろう。
でも、もしかしたら時代が変わっていたり、やる人が変われば全然違うかもしれないところがおもしろいところだ。同じ無駄でも感じ方やポイントは人それぞれで違う。
そして失敗したとしても、自らいろいろ試してみて痛い目にあった経験はとても貴重なものとなる。

そもそも優秀な人は失敗をしないし、本能的に失敗を避ける傾向がある。
凡人はとにかく何でもいいからチャンレンジして、失敗を積み重ねたからわかるという境地に達するのがよい。

そんなわけで、わたしは今年もいろいろなことにチャレンジしていきたいと思っている。

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