ボゴール観光2泊3日 ボゴール市内の観光
週末の3連休を利用しボゴールに遊びにいきました。
9月に入り、本腰を入れ修論の情報収集を始めています。
金曜と火曜にジャカルタ東部の工業団地+ジャカルタでヒアリングをさせてもらえることになりバンドンからやってきたのですが、間の3連休は1件もアポイントが入らず、バンドンに戻るより観光しようと決めたわけです。
最初の2日を温泉、最終日の半日をボゴール観光にあてました。
順序が逆になりますが、ボゴールの説明かたがたボゴール観光からスタートします。
1.ボゴールってどんな街?
インドネシアの首都ジャカルタから南へ60キロにある人口120万人ほどの都市です。
スンダ人の王国はあちこち移転していますが、最後はここにありました。バンテン王国に滅ぼされてからは廃墟となり、オランダが再開発した場所です。
東、西、南を山に囲まれた平原で、北側はジャカルタに向かってなだらかに下っていく風光明媚な場所です。
オランダはこの町をバイテンゾルフ(オランダ語で「憂いのない宮」の意味)と名付け、夏の間の政務を行う場所にしました。
夏の間って、ジャカルタは常夏なんで夏しかないのですが、乾期の間ということだろうか。よく分かりません。
朝晩は山からの冷えた風が吹きおろしてくるので、すごしやすいです。
ボゴールは別名Kota Hujan(雨の街)とも呼ばれ、雨の多い場所としても知られています。
わたしの滞在中も毎日夕方になると雨が降りました。
ボゴールで有名なものをいくつかあげます。
ボゴール植物園
元々はオランダ植民地総督のボゴール宮殿の庭としてスタート。
ナポレオンによりオランダが占領されたときはイギリスが占領し、有名なラッフルズがイギリス風の庭園に改造。
ラッフルズの奥さんはこの植物園の発展に貢献し、今もこの地に眠っているとのこと。
1817年にオランダの手に戻ると、アムス在住のドイツ人ラインヴァルトが着任し、植物園を開園。
彼はインドネシア全土から900種の植物を集めました。
当時世界最大、今もアジア最大の規模を誇る植物園で、コーヒー、タバコの品種改良、病害虫対策などに多大な貢献をしてきた世界レベルの植物園。
日本占領時は、日本軍が伐採命令を出した(木が欲しかったらしい。情けない。。)のを、当時の日本人の中井園長が拒否し貴重な植物たちは守られたとありました。
一安心です。また教養のない日本軍がやらかしたかとドキッとしました。
ボゴール農科大学(Institute Pertanian Bogor)
インドネシア最古にして最大の農業の大学で、前身まで遡ると、1876年にボゴール植物園長だったスへッフェルが地元民のために建てた農学校が始まりです。
北海道大学の前身である札幌農学校と同じ年に出来ています。
1916年には林業学校、1940年には獣医学校がそれぞれオランダ政府により作られています。
インドネシアでトップ5に入る名門大学です。
2.ボゴールへの行き方
電車とバスがありますが、わたしは今回電車で行きました。
ジャカルタの東に位置するブカシ(Bekasi)市の工業団地でミーティングがあり、チャワン(Cawang)経由でボゴールに向かいます。
ジャカルタとボゴールを結ぶ鉄道は1873年に開通。メイン画像にある駅舎は、1881年に建設された当時のものです。
ギリシャ風建築と言われています。
(1)チカランからチャワン
ブカシ市チカランのEJIP工業団地を訪問していたので、リッポーチカランにあるCITY WalkからBlok M行きのバスに乗り、チャワンでおろしてもらいます。1時間に一本の頻度で運行されていて、とても便利。時間も正確です。
35,000ルピア(350円)
チャワンでは駅から2キロも離れた場所でおろされたので、オジェックを見つけて駅に向かいます。
15,000ルピア(150円)
チャワンでKAI(インドネシア鉄道 Kereta Api Indonesia)のチケットを買おうとしたらカードごと買わなければならなくなり、KAIのカード5万ルピア+チャージ1万ルピアで計6万ルピア支払います
チャワンーボゴールの電車賃は5000ルピア(50円)
電車は明らかに日本の電車に見えます。
鉄道ファンならすぐにわかるでしょうが、わたしはわかりません。つり革、広告を挟み込む場所、座席の様子など、懐かしい光景です。
3.朝のランニング
朝ボゴール植物園の周りを走ります。土、日のせいかとても人が多く、大半は歩いていますが、走っている人もたくさんいます。
植物園の周りは1周4.3キロあり、平坦な道がほぼなく、ゆるやかに上るか下るかのいずれかです。
いつも平坦なトラックを走っているわたしにはよい刺激になりました。
登り坂でなるべくペースを落とさないように心拍数を上げ、下りはペースを上げないように気を付けつつも勝手にスピードが上がるので、全体としてはジョグのつもりが早いペースになってしまいました。
初日は2周(8.6キロ)、2日目は3周(12.9キロ)しました。
4.ボゴール観光
温泉巡りで疲れてしまったのと暑いのとで、観光する気力がおきず、今まで行ったことがない場所に行ってみることにしました。
ボゴールは前回ジャカルタに駐在していたときよく来ていました。
(1)Bogor Rasa Jepang(日本人街)
Rasaはインドネシア語で「味」ですので、日本の味わいがある場所という意味になります。
Google Mapにあった写真を見て、おもしろそうだったので行ってみたところ、跡形もなく消えていました。
少しくらい痕跡は残っていると思ったのですが、何もありません。
もともと日本人居住区があった場所とかではなかったようです。壁に絵を描くように作り、また元の壁に戻したのでしょう。
(2)Peta Museum(ペタ博物館)
ペタというのは、戦時中に日本軍が作ったインドネシア人による義勇軍です。
郷土防衛義勇軍(きょうど ぼうえい ぎゆうぐん、Tentara Pembela Tanah Air、略称PETA「ペタ」)といいます。
将来の独立時に軍の中心を担う人材を育成するという名のもと、体のよいリソース補完です。
日本軍はロジスティクスを軽視していましたから、物資はすべて現地調達です。そもそもこんな広大な国土を守るには兵力がまったく足りません。
インドネシア人に武器を与えて訓練を施し、軍を組織させると反乱を起こす可能性もあったわけですが、背に腹は代えられなかったのでしょう。
結果的には日本の敗戦とともにペタは解散となり、独立軍として再編されました。
オランダとの独立戦争の中心になったので、意図せずして役には立っています。
ペタの大団長だったスディルマンは、オランダとの戦いでもスディルマン将軍として活躍し、今もジャカルタの目抜き通り「スディルマン将軍通り: Jalan Jenderal Sudirman」として残っています。
ちなみに第2代大統領のスハルトは、ペタの小団長でした。
ペタの本拠地はボゴールにありました。
幹部士官養成学校がボゴールにあったのです。
見学者はわたしだけでした。館内の方が喜び写真を撮られました。
お役に立てれば何よりです。
5.ホテル
D’Palma Guest Houseに3泊しました。
旅先でランニングするようになってから、ホテルはランニングコースに近い場所を取るようになりました。
今回はボゴール植物園の周りがランニングコースだろうと思い、その中で一番お手頃価格のホテルにしました。
1泊素泊まりで2500円くらいです。
部屋は広いですが、シャワーのお湯がほぼ出ず水になること、ベッドのスプリングが半分壊れかけているところがマイナス要素です。
それでも立地は最高で、清潔に保たれています。
雰囲気の良いカフェが併設されています。
6. その他
スンダの刀は独特な形状をしていてクジャンと言います。
有名な蛇行剣のクリスはジャワの刀で、別な文化なのです。
インドネシアの各地へ行くと、地域独自の刀があり面白いです。
クジャンのように刀の歯が内側に反るタイプは結構見ます。
柄の下が膨らんででっぱりになっているのもよくあります。刺した後で血でぬるぬるして滑って引っこ抜けなくならないよう、ストッパーにするのです。
日本の刀は切る目的なのと、刃身がまっすぐなのでこのようなストッパーは見られません。