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スマトラ島の温泉をめぐる旅 16日目 トバ湖からブキッティンギへバス移動500キロ


18時過ぎにパラパッの街を出たバスは、500キロ先のブキッディンギ、最終的には600キロ先のパダンを目指し進む。
わたしの頭の中でピーター・ポール&マリーの500マイルが流れる。歌は忌野清志郎の日本語バージョン。

作詞:Hedy West/日本語詞:忌野清志郎
作曲:Hedy West

次の汽車が 駅に着いたら
この街を離れ 遠く
500マイルの 見知らぬ街へ
僕は出て行く 500マイル

ひとつ ふたつ みっつ よっつ
思い出数えて 500マイル
優しい人よ 愛しい友よ
懐かしい家よ さようなら

汽車の窓に 映った夢よ
帰りたい心 抑えて
抑えて 抑えて 抑えて 抑えて
泣きたくなるのを 抑えて

次の汽車が 駅に着いたら
この街を離れ 500マイル

https://j-lyric.net/artist/a012720/l0282ea.html

バスは、たぶん人生初のメルセデスベンツのバス。
そして頭の中に流れるのは、ジャニス・ジョプリンのメルセデスベンツ、歌はアカペラ

I'd like to do a song of great social and political import
It goes like this (ウダ註:ここまではしゃべり)

Oh Lord, won't you buy me a Mercedes Benz?
My friends all drive Porsches, I must make amends
Worked hard all my lifetime, no help from my friends
So, oh, Lord, won't you buy me a Mercedes Benz?

Oh Lord, won't you buy me a color TV?
Dialing For Dollars is trying to find me
I wait for delivery each day until three
So, oh, Lord, won't you buy me a color TV?

Oh, Lord, won't you buy me a night on the town?
I'm counting on you Lord, please don't let me down
Prove that you love me and buy the next round
Oh, Lord, won't you buy me a night on the town?
Everybody

Oh, Lord, won't you buy me a Mercedes Benz?
My friends all drive Porsches, I must make amends
Worked hard all my lifetime, no help from my friends
So, oh Lord, won't you buy me a Mercedes Benz?

That's it

https://www.musixmatch.com

訳すとこんな感じ。ベンツのところだけ
「ねぇ神様、わたしにメルセデスベンツを買ってくれない?
友達はみんなポルシェに乗ってるから、違いが必要なの
これまでずっと働きづめだったわ、誰の助けも借りずに
だからお願いよ、わたしにメルセデスベンツを買ってくれない?」
最後のThat’s itが最高にカッコいいい。
That’s allではいけなかったんだろう。thank youでもない。
全部言ってやったわ!という感じ。

ジャニスはこの曲のレコーディングから数日後に急性ヘロイン中毒で亡くなっている。享年27歳。
メルセデスベンツは死後に発売された「パール」というアルバム収録されている曲。

バタック人の町でずっと音楽を聴いていたせいか、音楽脳になってしまったようだ。
レンタルバイクで旅をしている間、誰もいない道で大声で歌っていた。気持ちよかった。

道中の様子に戻る

なにぶん山道なので、雨で土砂が崩れていたり道が狭い場所は、真夜中でも渋滞する。

真夜中にバスを降ろされ歩いたりした。
ちょうど土砂崩れのあとか何かで、しかも急な登り坂だったから、タイヤがスリップし坂道発進が難しかったのだろう。
乗客の重量でさえ軽くしたかったという訳だ。

明け方5時半にバスはモスクの横で停まった。お祈りの時間だ。
11時間経過した夜明けの時点で300キロ進んでいた。
平均時速は30キロに満たない。

朝になって気付いたのだが、こんな山奥にどうしてこんなに大きな川が流れているんだと不思議に思うような川に沿って上流に進んで行く。

ブキッディンギの町に入ったのは翌日の午前11時半。
500キロを15時間かけてきたので、平均時速は33キロという計算になる。

この町外れで昼食タイムとなった。

小学生くらいの子供が唐辛子山盛りのご飯を食べている。お父さんのご飯じゃないのか、と確認してしまった。

中心地まであと4キロほどなのでグラブを呼ぼうか迷い、最後まで乗ることにした。
ここまで来たからには完走したい気分だった。
全くの独りよがりだが、金とテクノロジーの力に頼りたくないという感覚が近い。

バスは残り1キロの地点で止まったので、結局グラブバイクを呼んで今日の宿に移動した。そこは歩くべきだったのかもしれない。相変わらず一貫性に欠ける。

宿は抜群の立地、まだ新しいにも関わらず1000円と安い。
かなり得をした気分だ。オススメできる。

1.ブキッティンギ観光

早速町の様子を見に行く。
宿からすぐにあるシンボルマークの時計塔。

これは夜の時計塔

この塔は1920年にオランダの女王から贈られたもので、時の支配者により屋根の形が変わる。
最初に変えたのは、いつも下らないことに考えを巡らす日本軍、次がインドネシアだ。

真ん中の写真が日本、寺院風の瓦屋根

ここはブキッティンギ(高い丘の意味)の中でもさらに高台にあるため、町を見下ろすことができる。曇っていて裾野しか見えない山はムラピ山。

この広場を中心にパラソルを差した飲食出店、放射状に伸びる通りには土産物屋がずらりと並び、観光地という感じがする。
コンパクトにまとまっていて探検するのが楽しみだ。

昼食に良さそうなレストランがないか探していると、空中廊下を見つけた。
丘同士をつなげている。
どうせならグラグラの吊り橋の方がいいと思った。

この橋のふもとにカフェ兼レストランがある。
前日のトバの刺身料理を食べて以来、胃腸の調子が悪いので、香辛料と油の強い地元のミナン料理(パダン料理)は避けたかった。

2.ブキッティンギの町について

先ほど説明したように、ブキットが丘、ティンギが高いという意味で、高い丘に作られた町だ。
バスで来る時もクネクネした坂道を延々登ったくらいなので標高は900メートルと高い。
地形は遮るもののない丘の上に町が作られている。盆地や扇状地ではない珍しい高原都市。
防御には最高だろうと思ったら、やはり日本軍はスマトラ島の総司令部をブキッティンギに置いていたそうだ。また、日本敗戦ののちオランダ・イギリス連合軍にジョグジャカルタを陥落させられた後、インドネシアの臨時政府が置かれている。

そしてここには日本軍が作った地下壕があり、インドネシア人労務者が多数殺されたという噂もある。口封じに殺したというのはデマだろうが、作業中に亡くなられることはあっただろう。

ちなみに「労務者」はインドネシア語になっている。いわば迫害の歴史の一部で、長らく彼らは無給で労働させられていたと信じられていた。
実際には強制労働者といえど賃金は払っていたのに、ブパティと呼ばれる地方権力者が懐に入れていたため、労務者の手に渡らなかったことが分かっている。

クラスメイトは「これがインドネシア人による汚職の歴史の始まりだ」と言っていた。

(1) 動物園

さっきの吊り橋は二つの丘をつないでいる。
1つが動物園、もう1つが砦のあった丘

入場料25,000ルピア

動物園の中に巨大な伝統建築が立っていて、中は博物館のような展示がある。
屋根はタイの寺院のようだ。

知らないおじさんが映り込んでしまった

動物園は立派な規模で、スマトラ象やスマトラ虎もいる。

また丘なので景色も良い

空中廊下を渡り砦のあった丘へ行く

橋から道を見下ろす

ムラピ山の裾野が見える

(2) 砦の跡

昔、慣習に基づいたイスラム教徒(簡単に言うといい加減ということ)と、メッカ帰りの正統派イスラム教徒が争いになった時、オランダが介入しこの地に砦を築いたのが始まり。1825年のことだった。
当時のオランダの司令官の名前から「De Kock砦」と言われていた。

城壁は残って無いが、星型だったという往時を偲ばせる土塁跡が残る。

(3)夜の街並み

インドネシアの地方都市は、夜に街の中心の広場が夜祭感を出してくる。ジャカルタでさえコタのファタヒラ広場に人が集まり、シートを敷いたり、ちょっとした段差に座りこむ。

ブキッティンギの時計塔の周りも夜祭感満載だった。

屋台や物売り、流しのギターまでいる。
わたしは自分の仮説が証明されたことに独り満足すると、夕食に良さそうな場所を求めて近隣をぐるっと巡ってみた。
そして、いかにもビールが売っていそうな店を見つけると入った。

残念ながらビールはなく、アイスティーにし、ソトパダンという料理を頼んでみた。
全国各地にご当地ソトは多いが、パダンは初耳だ。

味のベースは、ソプイガ(牛リブ肉のスープ)で、具にトマトと春雨が入るのが違い。ほぼ同じ味だ。

ネコが匂いを嗅ぎつけおこぼれを貰いにやって来た。
まずは先に注文し食べ終わった骨付き唐揚げの残骸の骨をあげてみる。
次はクルプック(インドネシアのえびせん)だ。
わたしは、クルプックを食べるネコには本当に美味しい肉を少しだけあげるルールにしている。
えり好みして食べない贅沢なネコにはあげない。

このネコはお腹が空いていたものとみえ食べた。
わたしは牛肉のなかでも脂身の少なそうなところを少しあげた。
ネコが驚いたような目つきでこっちを見ている。今のはなんだ、という目をしていた。

もう少しうろついてビールを出す店を探してみようと思ったけどやめた。
トバ湖のあたりでは毎日飲んでいたんだ。
今日くらいは止めておけと言うことだろう

街並みの写真をいくつか

馬車の待合
走り去る馬車

これは動物園内の博物館にある展示


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