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英語を社内公用語にすることの善し悪しを論じてみる

既に多くの実施例があり、またさまざまな観点からの批判も多いこの取り組みについて、私の体験談をもとに善し悪しを書き連ねていきます。
結論を言うと、私は英語公用語に賛成です。

過去の体験のまとめ

まずは過去どんな組織にいたのか、から話をスタートします。

1.2005年頃
インドネシアに駐在時代にインドネシアで日系の繊維産業をMBOした時、投資先の公用語をインドネシア語と英語にしようとし、かなり真剣に検討した結果断念。
本業のベンチャーキャピタルでは、駐在先の日本人は私だけ(いわゆる1人駐在)だったので、公用語は英語。

2.2010年~2011年
アメリカの法律事務所で働いていたときは社内公用語は英語。
人種は日系アメリカ人、韓国系アメリカ人、中国系アメリカ人、ベトナム系アメリカ人、アメリカ人、日本人と多様。

3.2016年~2017年
当時勤めていた家電メーカーが、台湾の企業に買収され、社内資料を英語で作らることになった。
ただ、全て英語というわけではなく、会議中の言語は日本語だった。台湾から来たトップが日本語ができたのだ。
また相手が日本語が分からない時は英語で話すが、中国人の通訳がついて日本語と中国語でやりあうケースの方が多かった。
深センに3ヶ月閉じ込められていた時期があり、その時の打ち合わせは通訳が入るパターンが大半。

4.2017年~今
転職先の自動車メーカーが、重要会議の資料は英語で、言語も英語。メールでのコミュニケーションも正式なものは英語と日本語併記。宛先で一番偉い人が外国人であれば英語が先で日本語が後、日本人の序列が一番高ければ、日本語が先で英語が後。

公用語を英語にするメリット

1.本社と現地間の情報が増える

本社が日本にあるだけで、従業員の大多数が日本人以外、売り上げの大半が日本以外の会社にとって、もはや日本語はマイノリティー言語です。

現地にすべて権限を与えて任せることはせず、日本からコントロールしガバナンスを効かせたいのであれば、英語で伝えないと相手には伝わらないため、本社が日本語を使う以上、現地に日本とのつなぎをする人を置かないといけなくなります。

それは大抵日本人の役目で、能力や経験は大したことがなくても、日本語の能力だけで、それなりのポジションの人間として現地に行くことになります。
かくいう私も30代前半にして現地法人の社長として現地に赴任しました。

本社の情報がすべて英語になり、指示が英語で直接おりるようになると、日本人と日本人以外の間の情報格差がなくなり、能力の高い現地の経営幹部がうまく日本本社と連携しながら経営ができるようになります。

まあ、そんな簡単にはいかないのですが、少なくとも英語を社内公用語にしようとしている会社はここが狙いです。

2.人材の確保がしやすい

ただでさえ若年人口が減っている日本で、優秀な人間を取ってくるのはどんどん難しくなっています。
それに引き換え、人口が10億人を超える中国、インド、あるいは全世界を対象に優秀な人を取るには、英語が公用語の方がよいです。

なぜならば、優秀な人に権限を与えて実力を発揮してもらうには、日本語の壁と情報格差をなるべく減らした方がよいからです。
彼らに日本語を学習させるより、少数の日本人に英語を学習させる方が、効率的だろうと考えた会社が英語を公用語にします。

3.コスト削減になる

日本語でコミュニケーションを取りたいがために、現地との橋渡しのために高コストをかけて日本人を現地に置かなくてよくなります。

また、これだけ円安になり、日本の一人当たりGDPが相対的に下がるとメリットは減ってきますが、同等以上の実力を持つ現地人を数分の1から10分の1以下のコストで雇うことができます。
誰でもできるような付加価値の低い仕事をして数十万円もらえるのは、日本語のバリアに守られているからです。
バリアがなければ、低いコストの人間に簡単に置き換えられます。アウトプットは同じなのにコストは全く違うから当たり前です。

英語にすることのデメリット

1.意思疎通の効率が落ちる、またはできない

英語で相手に伝わるように説明するのは結構ハードルが高いです。普段はずっと日本語で仕事をしているわけですから、急に英語で言えと言われてもという状態です。
時間がかかるしコミュニケーションミスも多発します。

対策としてよくあるのが、定型用語を用意し、皆が同じ意味でその言葉を使うというやり方です。今の会社はそうやっています。
やたらと英語のabreviation*があり、最初入ったときは用語がわからず苦労しました。みな同じ苦労をするのですぐに用語集が回ってきて、分からない言葉があるとすぐに調べていました。
*例えばchief operating officerをCOOと縮めて言うこと。

定義の決まった言葉で何の話をしているのか明確にし、あとは数字で語れば、現状の説明、今後どうやっていくのかという議論はしやすくなると思います。

ただし、経営レベルはそれでよいとして、現場レベルはもっと難しいです。
例えば、私が投資先の繊維会社の公用語を英語かインドネシア語にしようとしたときに起きたのは、品質の細かいニュアンスを英語やインドネシア語では表現できないというものでした。
これは業種によると思います。
繊維の場合は色ムラ、色合いの微妙な表現があり、営業と開発・生産のすり合わせ、工程間(紡績→織布→染色→加工)のすり合わせと、定型用語作戦を使うにも数が膨大になりすぎます。
日本人間で過去の経験をもとに、「あーあれね」で済んでいたものをやたらと細かい説明をつけてかつ伝わらなくて補足して、とやらないといけなくなります。
もちろんこれをやると現地の人が育つのでよいのですが、勘弁してくれと苦情が殺到して、日本語でよしとしました。
問題解決のスピードが落ちてしまい、損失や費用増につながるという短期的なデメリットが明確でした。

2.資料の分量が多くなる

そもそも、日英両方を併記すれば分量は2倍になります。
また、日本語と英語両方の資料を作ったことがある人はわかると思いますが、日本語資料を英語にすると英語の方が文字数が増えます。
スペースに入らないので文字を小さくして対応しようとするにも、資料作成の厳格なルールがあり、フォントは14以上、通常は16とかのルールに引っ掛かります。

私は最初から英語になったらどういう文章になるかイメージしながら資料を作ることが多いのですが、そうではない人もいます。
英語公用語にしたばかりで慣れないときとか、特に昔の癖が抜けない中高年社員が変化しきれない印象があります。

日本語って、主語を曖昧にして誰の責任でもないとか、コミットしているようで誰もコミットしていないかのような細工を施すことができる言語なんですよ。
私の個人的な感覚では、若い頃に本社や事業部の企画部門で資料作成要員として活躍した人ほど、年をとっても過去の成功体験が抜けきらずに、変な小細工に時間をかけようとする癖があります。

英語にした瞬間小細工の効果が消えるので、無駄に時間を使うことになります。

3.英訳の手間がかかる

私が日本で経験したパターンはすべて、日常業務は日本語で日本人同士が日本語で仕事をしている職場環境なので、元資料は日本語だし、資料作成の打ち合わせも日本語です。
そうなると、日本語で作った資料を英語に変えなければなりません。

この英訳作業が膨大にあるのと、一定のクオリティーを確保するため、英訳専門の人間を各部署に置くことが多いです。
人によって英語の言い回しが違ったりするとよくないので、一人の人間が英訳を担当するのは私は効率的と思います。
言い回しだけでなく、英訳スタイルの違いもあります。例えば私は意訳派ですが、日本語忠実派もいて、日本語忠実派の方が好まれがちです。

また、皆さんも経験があると思いますが、資料ってぎりぎりまで手直しが入りますよね。あれを入れてくれとか、このニュアンスを変えてくれとか。

そのたびに翻訳者に回していられないので、最後の修正はこっち側でやるのが効率的です。

4.資料の読み書きに時間がかかる

英語を読むのと日本語を読むのでかかる時間は、私の場合で英語は2倍近くかかります。
書く方になると3倍は余計に時間がかかります。

日本語の文章は漢字が多いので、情報量がつまっていてかつ脳の処理スピードも早いです。
これは漢字文化圏の中国人と台湾人も同じようです。
家電メーカーにいた時、英語の資料を渡したら日本語が有ればそっちもくれと言われました。
え?日本語できるの?と聞いたら、できないけど日本語の文章の漢字部分だけざっと追いかけてみると大体言っていることは分かるんだと言っていました。
おそらく日本語でざっと読んで、重要そうなところは正確に理解しないといけないので英語で参照していたんでしょう。

全社員の作業時間の増加を時給換算するととんでもないことになりますね。
自動翻訳技術が急速に上がっているので、今はだいぶ効率的になっていますが、それでも時間はかかります。

5.英語でうまく誤魔化される

こちら側の英語力と慣れの問題ではあるのですが、アメリカ人はプレゼン上手なのであまり中身の無い事でもさもすごいことをやっている感を出せます。
また、詰めようとしても英語で長々と言い訳をまくしたてられている内に、何を言おうとしていたのか分からなくなって誤魔化されるという展開も多々あります。

こういうことが散発すると、英語の会議は良くないという議論が巻き起こりがちです。

私はこれは一種の文化摩擦と思いますし、良くないと思えば指摘して改めさせるのが筋と思います。
本人は誤魔化そうという気は全くなく、自己アピールをしようとしているだけの可能性がありますので、日本の企業では却って悪い印象をあたえるよと教えてあげればいいのです。私は日本人の会議こそ相手に悪い印象を与えると思います。
長々と時間をかけて何も決まらないとか、人数がやたらといて何も発言する機会がないとか、良くない大企業の会議は時間の無駄と思われると思います。
実は不満の発散だったり、時間をかけてすり合わせしたという状況証拠の目的もあったりはするのですが、異文化の人には理解できません。
同じ日本人でも、大企業の無駄な会議に付き合わざる得ないスタートアップの連中は、俺たちの時間を返してくれと心の中で叫んでいます。

6.英語ができるだけで能力が劣る人が優遇される

これはTOEICの点が取れずに昇進できない人や、その上司に出てくる不満です。あげたいやつを上げられないとか。
評価や昇進は全員を満足させられないので、英語以前の問題として不平不満はでがちではありますね。

他にも、私は直接経験したことはないですが、企業によっては海外留学組や英語が堪能な人と、ドメスティック一筋の社員で、能力に関係なくあからさまな待遇格差があると聞いたことがあります。

色々と事情があるとは思いますが、私の個人的な感想を言うならば、文句を言う暇があれば英語やろうよですね。

英語ではなく逆に日本語の習得という逆目線で見れば、日系企業の現地法人のナショナルスタッフで日本語ができる人がいれば重宝しますよね。
そのスタッフは日本語能力により、できないスタッフより多くの情報に接する機会があり、よりチャンスにも接します。
多分昇進して給与も上がります。

こんなに分かりやすいメリットがあるのに何故やらないんですかと言いたいですね。しかも勉強すれば誰でもできるようになるのに。

7.アイデンティティを失う

私は実感がないのでよく分かりませんが、恐らくこういうことを心配しているのだろうと思います。
日本の企業として創立以来の企業文化があり、その文化が企業の経営基盤として企業を成功に導いてきた。英語化はこの文化を失わせ、コーポレートアイデンティティが消え去るリスクがある。

完全に英語になるとそうかも知れませんが、日本語が消えるわけではないですし、過去の蓄積も消えないと思います。
消えるとすれば、仮に日本語のままでも創業の精神は消えます。よく言われていることです。
創業から何十年も経つと、創業者やメンバーの薫陶を直接受けた人がいなくなって変わるとか、ベンチャー精神が失われるとか。

英語のせいにしているだけかと思います。

結論

結局英語公用語のデメリットは、日本人の目線で不便というだけなんだろうと私は思います。
グループ全体の社員から見れば何も困らずむしろ歓迎すべきことでしょう。

経営のトップになればなるほど見える景色が違うので、このスピード感はまずいとか、情報の断絶はまずいと危機感をもって、やれば慣れるから強引にやれという結果になるのだろうと思います。

業種や海外売上比率によって事情は違うと思いますが、流れ的には英語化は進んでいくはずです。

潔く諦めて英語を勉強しましょう、と言いたいです。語学ができればチャンスは増えると思います。



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