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インドネシアの島めぐり3日目 ロンボック島からフェリーでスンバワ島に入る

今日は朝からいろいろな乗り物を乗り継ぎ、ようやくスンバワブサールという空港のある町にあるロッジ風の宿に腰を落ち着けた。
旅に移動はつきもので仕方ないとはいえ、疲れるしスリや泥棒にも注意を払わないといけないのでストレスもかかる。まずは無事到着しひと安心。

朝6:30にスンバルンの宿の前で、通りかかった軽トラを止め港まで連れて行ってほしいと交渉する。港の手前にある市場までなら良いとなり、順調な滑り出しだ。
昨日は宿のフランス人(シンガポールで働いている)がダイビングで有名なギリに行こうとし、グラブもオジェックも見つからず断念し延泊する羽目になっていたので少し心配していた。

軽トラの運転手は敬虔なイスラム教徒の証である白い水泳帽みたいなぴったりとした帽子をかぶっているが、どこか信用が置けないところがある。
例えば、5分くらい走ったところで急に車を止めたかと思うと、「ここでもう2泊しないか?1泊300,000ルピアだ」と勧誘したり、店の女の人に色目づかいをして声をかけている。
ハジ(メッカ巡礼者)と言っていたが、眉ツバものだ。とはいえ、お茶目な顔立ちで話しをしても悪いやつではなさそうなので、そのままラブハンロンボックの市場まで乗って行った。
市場で港まで行くオジェックを一緒に探してもらう約束だったのに、金を払うと運転手はお調子ものらしくあっさりと「じゃあ」と去っていった。

自分で探そうとあたりの様子を伺うと、市場の前には馬車がたくさん止まっている。馬車で行くのも風情があって良さそうだなと思い、馭者(ぎょしゃ)に声をかけてみるのだが、なぜだか皆明らかに嫌がっている。
仕方なく声をかけきたバイクに決め港まで乗せてもらう。
馬車はなぜ行きたがらないんだろうかと聞くと、「登り坂があるからだ。」とのこと。

ラブハンロンボクの市場

港に着く前に、道端にある簡易テントみたいな場所で止まり、「ここでチケットを買え」という。よく見ると道の先の方にも同じようなテントがたくさん並び、Online Ticketと看板を出している。
徒歩客は25,000ルピア(250円)だというので支払う。スマホをいじってチケットを買っている様子だ。他にも客が来たので、これが正しいやり方なんだろうと思っていたら、ここでもらった紙を港でチケットに交換してもらったところ18,800ルピア(188円)と表示されていた。

料金18,000、保険800

港のチケット売り場の人は何も言わなかったので、地域経済をまわすため意図的野放しにしているのかもしれない。まあよしとしよう。船は待つことなくすぐに乗船しできたし、全ては順調に進んでいる。

船の上に上がってみると多くの人で混み合っており、めいめいが思い思いの場所に敷物を敷いてリラックスしている。わたしは運良くベンチの端にちょこっと座らせてもらうことができた。
謎めいた雰囲気のおばあさんと娘らしきおばさんの二人組のベンチで、おばあさんは肘でわたしのことをこづいてはひそひそ声で話しかけてくる。
言っていることの半分くらいしかわからなかった。

観察してみたところ、皆リラックスはしているものの何日も船で過ごした様子はなく、わたしと同じくロンボックから乗って来たようだった。

船は9:35に出発。日本でよくある汽笛を鳴らすとか、紙テープを投げるとか、桟橋で別れを惜しむ人々が手を振るとかはない。
それでも船に乗ると旅をしている感覚がする。飛行機はかしこまった緊張した感じがするのに対し、船は何かが始まるような最初の一歩を踏み出すような旅人感がある。
もしかしたらわたしの初めての海外旅行が当時神戸ー上海間を結んでいた鑑真号の旅だったからかもしれない。

ロンボック島を望む。リンジャニ山のどこまでも広がる裾野

静かに動き出した船の中ではカラオケ大会が始まった。地元の歌手の営業だろうか、MC兼歌手がダンドゥット(インドネシアの演歌風ポップス)を歌う。客たちに参加するよう促すが、シャイな人が多く目も合わそうとしない。
彼らが参加し始めたのは1時間くらいたってからだった。どこか調子のはずれた、それでいてやさしい感じのする歌声に思わず笑顔になる。同じ船に乗った仲間同士の連帯感のせいかもしれない。

船はスンバワ島の港、ポート・タノに11:10に着いた。
島の風景は明らかに乾燥地帯の様相をていしており、ロンボック島東部よりさらに乾燥が進んでいる感じがする。そして暑い。

港から今日泊まろうと思うスンバワブサールという町まで100キロ以上あるので、バスで行こうと探すがどこにも見当たらない。船の客を乗せようとバスやベモが待ち構えているに違いないと思っていたので拍子抜けだった。
気がつけば、交通手段がなく港に取り残されているのはどうやらわたしだけのようで、なんだかまずい予感がして来た。

コンビニの店員に「スンバワブサールへ行くバスはどこから出るのか?」と聞いてみると、「バスはあるけど多分夕方までない」というではないか。オジェックは?と聞くと、「アラスという20キロほど行った町にバスターミナルがあり、オジェックが行けるのはそこまでだろう。そこでバスを見つけろ」というアドバイスであった。
的確なアドバイスに勇気づけられ、オジェックを探した。ところがなかなか見つからない。暇そうにしているお兄さんたちはオジェックではないのだ。

ぼったくりオジェック(車)に絡まれるなど疲れたが、ようやく50,000ルピアで行ってくれる運転手が見つかり無事港を脱出できた。

アラスの街はとても小さく、バスターミナルといっても大型バスがたくさん並んでいるイメージとは全く違う。ここじゃないでしょと運転手に言ってしまうくらいの小ささだった。
バスターミナルではなく道路に停まって屋根から荷物を下ろしてるバスがあり、オジェックの運転手によればスンバワブサールに行くはずだという。

果たしてその通りであった。荷物運びに精を出す運転手に確認したら「ここに乗れ」と言って車内にも満載されている荷物をテキパキと動かし、乗客にも指示を出してあっという間にわたしの席を用意してくれた。

車内はムンムンしているものの、時々涼しい風が通るので「アーセー(インドネシア語でエアコンの意味)があるのか」と聞いたら、乗客たちに「アーセー?ないない」と笑われてしまった。
とにかくボロいバスだろうとスンバワブサールまで連れて行ってくれてしかも座れるんだから文句は言えまい。
乗っている客たちは皆ロンボックからこのバスに乗って来ていて、なんのことはない、フェリーを降りる前に運転手に声をかければよかったということだ。
フェリーには何台もバスはあったしエアコン付きもあったので、つぎに船に乗る時はこのやり方でやってみよう。

通路にはぎっしりと荷物が敷かれ、椅子と同じ高さになるよう上底したみたいになってる。

このバスはとにかくよく止まる。乗客を途中で乗せたり降ろしたりはもちろんの事、荷物運びもしているらしく店の前でも配達のため止まる。途中休憩も20分くらいした。
それでも乗客たちは皆慣れているようで落ち着いたものだった。

バスがスンバワブサールのバスターミナルに着いたのは15:00過ぎ。12:30にアラスの街を出発してから2時間半かかったことになる。移動距離から考えれば上出来だ。
やはり渋滞がないのが大きい。また道は全てしっかりと舗装されており、傷んだ場所はなかった。こんな田舎にもお金をかけられる豊かな国になったということだろう。

バスターミナルは郊外にあるため、ホテルがある街の中心部に出るにはオジェックを捕まえないといけない。今度は大量に群がって来たので簡単だった。
いつもであれば客引きが近づいてくると嫌な気分がするのに、今日は港でひとりぼっちの目にあったせいで、ヨシヨシこうでなくっちゃという気持ちになった。我ながら現金なものだと思う。

そして適当な場所でおろしてもらい、バスの中で目星をつけていたホテルに連絡を入れて無事部屋に入れたという長い1日だった。

右から2番目がわたしの部屋

オジェック(スンバルン−ラブハンロンボック): 150,000ルピア
オジェック(ラブハンロンボック−乗船所): 20,000ルピア
フェリー(ロンボック島−スンバワ島): 25,000ルピア
オジェック(ポート・タノ−アラス): 50,000ルピア
バス(アラス−スンバワブサール): 30,000ルピア
オジェック(スンバワブサールのバスターミナル−町の中心地): 25,000ルピア
ホテル2泊(素泊まり): 430,000ルピア
夕食: サテカンビンとライスで20,000ルピア



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