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わたしが時間にルーズだった頃

インドネシア人は時間にルーズだと批判した以上、自分もかつて時間にルーズだったことを白状しないわけにはいくまい。

30年以上前、わたしはインドネシア人に引けを取らないくらい時間にルーズな人間だった。
わたしだけでなく、当時の大学生はほぼ全員時間にルーズだった。おおげさにいえば、そういう時代だったのである。

当時わたしが所属していた旅の会という一人旅を愛する旅行サークルには、「旅の会時間」というインドネシアのゴム時間顔負けのルールがあり、たしか30分までは遅刻とみなされないというものだったと記憶している。

昨今の若者には想像がつかない世界かもしれないが、携帯電話がない時代、集合時間に遅れ取り残されるというのは、ほかの人間に合流することのハードルが極めて高くなることを意味した。

なので、出発するのはなるべく待ってやろうという温情が働き、それがいつの間にか30分は待ってやろうとなったのではないか、とわたしは想像している。
当時、駅にはかならず黒板が置いてあり、書置きを残せるようになっていたので、「先に行く」とか、「〇〇で待っている」など書いていたものだ。
高田馬場駅に甘栗太郎があったころ、店の裏手にその黒板はあった。
黒板がなくなってかれこれ20年以上たつ。

旅の会時間がスタンダードになるとどうなるか、結局ほとんどの人間が約束の30分後にやってくることになる。一人だけ早くきて待っているのはバカバカしいから自然と悪い方に合わせるようになるのは世の常といえよう。

わたしはどうしたかといえば、わたしだけではないのだが、わざと集合時間を30分早く設定し、予定通りに動けるようにした。時計の針を30分早めておくようなものだ。
この対策はとても一般的だったため、みなうすうす本当は30分早められているんじゃないかと気付いているのだが、特に文句も言わず30分後をめどに集合するのだった。

「お前だましたな!」などと文句を言えば、「じゃあお前ちゃんと時間通りに来るんだろうな」と言い返されるのがわかっているから何も言わない。

ひるがえって授業はどうだったか思い出そうとし、そもそも授業にほぼ出ていなかったことを思い出した。
遅刻以前の問題でなんともなさけない。

少々遅刻しようがちゃんと授業に出てくるインドネシア人の学生の方がよほど立派ではないか。

約束は守っていたか?

昔すぎて思い出せない。

たぶん守っていなかったはずだ。
なんどか両親に叱られた記憶がある。たしか家族関連のイベントをすっかり忘れていたとか、そんな感じだった。

遠い記憶がだんだんとよみがえってきた。

当時、高田馬場から一駅先の下落合に、内外学生センター(通称ガクト)というアルバイト紹介所があり、暇で貧乏な学生は大学からそこまで歩いて行って仕事を見つけてくるのが常であった。

いい仕事が見つかると、もうすっかりお金が入ったような錯覚を覚え、友と酒を飲みに行き、安酒の影響か、単に量が多かったのか酩酊し、翌朝目覚めるとバイトの集合時間をすっかり過ぎていた、というとんでもないことをしでかしていた。
今から考えると怒りを覚える。

そうはいっても、ちゃんと起きてバイトに行くことの方が多かったということは付け加えておきたい。

そしてバイトに行ってみると、やはり当日なんの連絡もなく休んでいる学生がおり、現場監督はしょうがねえなというくらいで、なんのペナルティーもなかった。
むしろ、当日人がそろわないこともあるくらいの余裕をもって回していた気がする。
90年代前半、まだバブルの余韻が漂う牧歌的な時代である。


そんな人間でも何らかの組織に属する勤め人になれば、ふつうに時間を守るようになる。
そして、怠惰だった頃のことをすっかり忘れ、あるいは自分のことは棚に上げて、インドネシア人は時間にルーズで問題だなと考えている。

ああなんと人間は忘れっぽく、また自分に甘いのだろうか。

インドネシア人にあまり厳しく言うのはやめておこうか。
いや、愛をもって時間は守らないといけないと教えるのが一番良いだろうか。

そんなことを考えながらまた一日が過ぎていくのであった。

~雨上がりの夜にヤモリの鳴き声を聴きながら記す~

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