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最難関中合格の秘訣 親の役割・塾の役割

(第1回)
Ⅰ.はじめに
①「学ぶ力」は親が引き出す」

 「美田」という言葉があります。「子孫に美田を残す」と言えば、子孫が生活に困らないように田畑や財産を残すことを意味します。昔の美田はまさに田畑であり、お金であったでしょうが今はそれだけでわが子が生きていけるほど単純な世の中ではありません。少し前までは考えられなかった状況が次々と起こる時代に入っています。わが子が生き抜くこれからの時代は「混沌(カオス)」の時代なのです。土地やお金を残したところで、子どもが必ず成功する保証はどこにもありません。
 そんなカオスの時代にあっては、「教育」こそが「美田」になり得る唯一のものです。
 さらに資源の少ない日本で、すでに到来しているグローバル時代に親が子どもに与えることができる最高の贈り物は教育です。「教育」こそが「美田」であると言い切ることができます。
 日本語で教育と言えば、字の如く「教え育む」という意味に解されます。そのために、上から与えられるという発想で捉えがちです。大学の「教授」にしても「教え授ける」です。しかし元々の教育の語源を辿るならば、ラテン語の「エデュケー(educere)」に由来します。これは英語の「エデュケート(educate)=教育する」の語源でもあります。エデュケーとは「導き出す、引き出す」という意味です。つまり、子どもの能力、才能をうまく引き出してやるのが教育なのです。
 子ども一人ひとりが潜在的に持っている能力、才能を引き出してやることのできる教育であれば、どんな時代であれ、いかなる環境であれ、わが子がたくましく生き抜いていく力となります。それだけではなく、大きな目で見れば、小さいときから子どもの才能を引き出すことが人類の発展にも貢献します。
 例えば、この子は走るのが速いと早期に見抜いて練習させれば、100メートル走で世界記録を打ち立てるかもしれません。その記録は全世界の人たちの目標となります。また、この子はピアノの才能があると感じたら、一生懸命努力をさせ、ピアノの名手にすることができるかもしれません。わが子が弾くピアノの音色が世界中の人たちの心を高揚させたり、癒やしたりすることができるのです。
 もちろん、これらは極端な例ですが、わが子が持っている能力、才能をどう花開かせていくかが教育であり、親がわが子に残してやれる美田なのです。
 こうお話すると、きっと「いや、うちの子にはそんな才能はない」と仰るお母様、お父様もおられると思います。別に100メートルを9秒台で走れなくても、ピアニストの兆しがなくても、わが子が努力と練習でカオスの世界を生き抜くことができ、しかも社会のリーダーとなれる方法があります。
 それが学習です。そしてそれを実行に移す際の重要なポイントが「努力」です。努力は才能に勝るとも劣らない尊いものです。
 親が社会的リーダーであるかどうかは別にして、わが子に将来の社会的リーダーを託すことはできます。その熱い思いが、親が子どもに残せる大きな大きな財産になっていくのです。教育は何も国語、算数、理科、社会を教えるだけでなく、子どもが持っている力を最大限に出すことでもあります。だから教育は現代の美田であるのです。そしてそれを実現するための習慣を造り上げることが親の役割の核になるのです。

 親の役割の最重要点は、子どもの世話をすることですが、その適切な世話が子どもの自立を促すことにどれ程の大きな役割を担っているのかについて述べたいと思います。重要なポイントは親の過保護感の功罪なのです。

 私の出身(実家)は農家です。今も尼崎で一町歩ほどの田んぼで稲を作っています。その昔、いまは亡き伯父から、よい米を作る秘伝を聞いたことがあります。
 「草をとる仕事一つ取っても、その時期は決まっているのや。水を入れる時期も必要なときを見計らって水を入れるのや」
 伯父はそう教えてくれました。その他、作物の栽培には何をするにしても、その適切な時期に適切なものを与えないと枯れてしまったり、よい作物はとれないのだということも聞かされました。まさにそのことは子どもの学習指導にも当てはまります。そのときそのときの適切な時期に、必要なものを摂取していくことが必要なのです。
 わが子を最難関中に合格させる作業は、稲穂をたわわに実らせるための農作業によく似ています。
 作物は水をやるとき、肥料をやるときが決まっています。やってはいけないときに水を入れたり肥料を施すと作物は枯れてしまいます。いつがやりどきかを冷静に観察しないと作物は立派に成長しません。
 わが子に今何を与えればいいのかも冷静に判断しなければいけません。隣家の同級生が受験の仕上げ段階に入っていて、そのための参考書、問題集をやっていたとしても、ではわが子は今どういう段階にあるだろうかと考える必要があります。隣の子が仕上がったからといって焦ってわが子にも仕上げ段階の参考書、問題集を与えたとしたら、それは与えてはいけない肥料なのです。
 わが子を最難関中に合格させたいのであれば、わが子にとって今どんな情報が必要でどんな勉強の流れの中にあるかをきちんと把握しておかなくてはいけません。親は受験の当事者になってはいけないのです。
 言葉を換えれば、親は「ディレクター(監督)」ではなく「マネージャー(管理者)に徹せよ」ということです。
 本来、子ども一人ひとり、必要なもの、必要な時期が違うのに、同じ時期に同じものを要求する傾向が強くなっています。
 何故、こういうことが顕著になってきたかと言うと、幼児教育、早期教育が単なるお稽古事ではなく、将来に繋がる受験勉強の学習そのものを行う塾通いになってきたからではないでしょうか。○○幼稚園でないとダメ、それどころか産むところは○○病院でないと、いやもっとそれ以前の胎教は○○でとか、そう思い込む保護者が増えてきたからではないでしょうか。
 それ故、余計に過保護感が増す傾向にあるように私は思います。
 
 わが子を自立させ、強い人間力を育て上げるのに必要な条件は正に「親が与える過保護から子どもを救い出す」ことから始めようではありませんか。

 (第2回目へ続く)

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