授業研究協議の深度は何が決めるのか

 授業を計画する,準備する。授業をする。授業を振り返り,省察し,次につなぐ。学校というのはそういうサイクルを年間ざっと200日,1000時間程度繰り返していく空間である。多分。このサイクルをより丁寧に,より深くなるように「研究授業」「公開研究会」というものを設定しているんだと考えている。年間スケジュールに定められたルーティンワークではない,お決まりの儀礼ではない,そういう「公開研究会」であれば良いなと考えている。

 本校の公開研究会が終わり,浮かび上がったのは「授業後の研究協議をいかにして深めるか」ということだった。
 研究協議を深めるファクターとして第一に想定されたのが人数だったが,参加人数の多寡がどれほど協議に深まりを生むのかははっきりしない。人数が多くても船が山に登ることだってある。人数が少なくても,文殊の知恵に勝ることだってある。そういうわけで,私たちは「人数」というファクターをあまり重要視しなくなるだろうなと思う。

 じゃあ。次に重要なファクターとして立ち上がるのは「問い」だろうか。
「今回の授業の,この部分についてご意見を伺いたい。」
「あの時のあの発問は授業の中でどう機能したのか。」
 そういう問いが研究協議を深みに誘ってくれるのだろうか。つまり「私たちはこの問いさえあれば,研究協議をぐっと深化させるクリティカルなクエスチョンを持っているはずだ」という立場。きっとあるんだろうけど,それはまだ形になってくれていない。

 人数,問いの質,あるいはそれ以外。もしくはそれらの複合体。研究協議という営為について,漫然と考えてもなかなか自分の中での答えを出せずにいるが,多分それは追い求め続けなければならないのだろうなと思う。なんだか宿業みたいだな,と思う。