以前以後のお話7

 私を生かすも殺すも,私を褒めるも貶すも,全権は私にある。それを行使するタイミングも自分でコントロールできれば良かったが,なかなかそうはならないのが人生というやつの難しいところだ。生殺与奪の権を他人に預けるなと冨岡義勇さんは言ったらしいが,それができるのは「自分の生殺与奪の権は自分でしっかり確保している」という実感のある人間だけなので,まあ,難しいもんだなあ。

 抑うつでぐでぐでとしていた頃は,自分の魂,体,思考,ことばがそれぞれに乖離して,ふわふわと浮遊するような感覚があった。何一つ噛み合っていないのである。大きな問題だったのはむしろ「それらがぴったり噛み合っている感覚がどんなものだったかわからない,思い出せない」ということである。風邪をひいて初めて「ああ自分は昨日まで健康だったんだなあ」と思うのに似ている。病気をして精神面まで参ってしまうとこの病気が一生モノのように思えてしまうのにも似ている。

 要するに,自分は2020年の2月に一度バラバラにされたのである。バラバラにされた要因は複合的なので,考えても仕方がない。ただ一言「ストレス」で片付く話である。
 もう1年以上経った今では,この自分バラバラ事件に対して言えることがいくつかできた。
 「バラバラになった自分を愛することはできない」ということ。
 「バラバラの自分を拾い集める過程こそが自己愛である」ということ。

 私のバラバラ具合はまだ修復可能な水準だったことを有り難く思う。魂と体と思考とを,ことばで繋ぐことが今はできているような気がする。書くことは救済であり,祈りであることを実感できつつある。