極個人的な記事

 そういえば、自己紹介的な記事をここに書いていなかったな、でもまあ、そういうのって別に必要とされていないしなと、もやん、と考えていました。抑うつの療養期間に得た、「おっさんに暇を与えると碌なことを考えない」という知見の妥当性がまた強化されました。
 書籍には著者・作者のプロフィールが記載されていますし、各種家電やガジェットには「最初にお読みください」という文章が付いていますし、なんかそういう「取説の中でも特に読んでおいて欲しいもの」的なのがこのnoteにあってもいいのかな、と思います。そういうわけで、極個人的な記事として、おっさんの虚しい暇つぶしとしてこの記事を記しておこうと思います。記さなくてもいいよなと思いながら。36歳です。

 北海道の”右上の方”、オホーツク地方の公立小学校に勤めています。様々なタイミングと運と縁が奇妙に重なって、それなりのポジションと職責を担っているわけですが、時と運と縁によるものですので、次年度(令和5年度)はどうなるか分かりません。
 妻と二人暮らしです。結婚して4年が経ちましたが、我が子を授かる幸運には恵まれずにここまできています。我が子がいることで、職業上のマインドに大きな影響(主にプラスの)があることは聞いているのですが、ことはそう簡単でないので、なんともはあ。
 先述の通り、抑うつによる自宅療養を2ヶ月ほど経験しています。コロナ2019が国内で蔓延し始めたタイミングと重なっているため、結果的には「家に篭もりきりの状況からくる罪悪感や閉塞感」はかなり薄かったのが、幸運だったと思います。「早めに病休に入れた」ことと「ステイホームは正義」だったことによって、復帰が予想より早かったのは本当に幸運でした。

 国語科の授業にそれなりにこだわりをもってやっていますが、授業のクオリティ的にはかつて「授業は上手くない」と評されたことがあるので、常々頭を悩ませています。ただ、その評をくれた人からは「地に足のついた授業を展開していってください。」と言われています。そのことは私の授業づくりの根幹に近いところを、今も流れていると思います。今となってはその人に授業を見てもらうことは絶対に叶わないのですが、「もし見てくれたら、なんて言われるんだろうな」とずっと想像しています。

 3年前、コロナ禍の真っ只中で祖母が死去し、ちゃんと別れを告げることができていません。死の4ヶ月前に妻と共に訪問できたこと、持参したオホーツク(ロシアじゃない方)のお菓子を一緒に食べたことが、救いになっています。
 先日、妻の祖母が死去し、妻には「ちゃんとお別れをしてあげてほしい。」と言いました。仕事が詰まっており、自身の体調にも不安があった妻でしたが、ちゃんと別れを告げることができて安心できたようでもありました。

 年齢的になのでしょう、徐々に身近に死が迫ってきているように思います。実家である京都府の両親については、まだまだ健在で安心している部分がありますが、さてはて。
 かつて「死」をテーマにして短編小説的なものを書いてみましたが、そういう意味で少し「死」については敏感になってきているように感じます。

 何のまとまりもない記事ですね。