教室に飛び交う言葉を拾って

 冬休みなので、少しゆっくりと自分のペースで仕事を進めています。
 年末年始の喧騒やお祭り騒ぎ感が少しずつ薄れていき、日常がゆっくりと戻ってくる感覚が好きで、そういう意味ではこの時期が年間の中で一番好きなのかもしれません。

 冬休みの教室には当然ながら児童がいないので、全くの静寂にあります。しんとした環境に身を置いて考えているのは、教室に飛び交う言葉についてです。

 教室に飛び交う言葉。
 教員の言葉。
 子どもの言葉。
 教師子ども間の言葉(「縦の言葉」と呼んでいます)と、子ども同士の言葉(これは「横の言葉」としています)。
 私はここに「斜めの言葉」を突っ込もうとしています。教室内に複数の教員が入る場合、この「斜めの言葉」が発生するかどうか。発生させられるかどうか。そういったことを、静かな教室の中で考えています。

 例えば、自分の学級の児童が、特別支援学級や隣のクラスの担任に親しげに話しかけることができているか。時折教室を覗きに来てくれる校長先生や教頭先生に対してはどうか。私が考えている「斜めの言葉」とはそういうものであり、ここに子どもの在り方やこれまでの自分の指導が明確に、時に残酷に現れてくるようにも感じています。
「校長先生はね、この学校で一番えらい先生なんだよ。」からもう一歩先。
「校長先生は、教室に来たとき、どんなことを考えているんだろうね。」という言葉。
「○○先生は理科の勉強が得意なんだって。」という言葉。
「△△先生のおかげだね。」という言葉。
 これらの言葉で、子どもたちは「斜めの繋がり」をもてるでしょうか。斜めの繋がりの先に「いろいろな先生たちが、私たちを見守ってくれている。」という実感に繋げられるでしょうか。
 そしてこの「斜めの言葉」は、私が発する時にはどんな色を帯びているのかに対しても敏感でありたいと思います。年齢的・キャリア的に、そういったことを意識しておく必要のある立場になってきているのかな、という薄ぼんやりとした自覚と共に。