問われ続ける学級経営 <7月〜夏休み〜8月>

 そういうわけで、7月半ばにちょっとのっぴきならない事態に陥ったり、大変に落ち込むことが起こったりして、Twitterに浮上することがなくなりました。多少見てはいます。人生、いろいろなことが起こるものです。TwitterはTwitterではなくなったのですが、それはまあ、はい。

 7月の授業日は15日間、怒涛でした。無事に夏休みまで来られたことに今は安堵していますが、20日後にまた怒涛の日々なのかなと思っています。では、なぜ“怒涛”なのか、“怒涛”になって“しまう”のか。
 おそらくは、夏休みという節目、区切れ、期限のようなものを過分に意識してしまうことに根源があるのだろうと思います。これは大人も子どもも関係なく発生することで、節目に向かって無意識にペースを、スピードを、ピッチを上げていくことになってしまっているのが原因かと思われるのです。今まではそうではなかったのに、突然ある時期からそんな不自然なペースに入ってしまうのですから、いろいろ歪んでしまうのは仕方がないのかなと思うわけです。

 人間が感情の容れ物であるとして、その容れ物に入っている感情について誰も正確に何かを言えるわけではありません。当の本人でさえも、何が入っていてどんな形や色をしているのかはわからないことが往々にしてあるわけですから。
 容れ物の中で自分の感情が暴れ出したり乱れたりした時に、じっとそれを観察したり、おとなしくなるのを待ったりする時間が必要です。それが多分、今、要するに夏休みなのかなと思います。
 本当は容れ物自体を大きくしたり頑丈にしたりしたいのですが、それはなかなか難しい話です。なので、今はこうやって何事もなかったかのようにふわふわと過ごしています。

 夏休みが終われば、またいろいろ考えられるかなと思います。