安心して学べること

 ここ最近の「学校を、安心して学べる場に」という潮流はもう完全なメインストリームになったなと感じています。いえ、おそらくはきっと、ずうっと言われてきたことなのでしょう、学級という地盤の安定感はそのまま学習活動の、学びという営為の安定感になっていくということは。

 4月になりました。私たちは約200日後の年度末に、到達してほしい姿を想定しながら日々の授業を組み立てていくわけです。例えばここで「主体的に自分の考えや意見を表現できる学級になったらいいな」と想定した場合、そこからいろいろ逆算的に考えていくわけですが、この場合でもやはり「安心して学べる場であること」が重要というか前提になってくるわけです。

 自分の表現がきちんと受け止められるという経験を経た人が、自分ではない誰かの表現を受け止めることができます。人間、どうしても自分の経験を最大化し一般化して世界を見がちです。
 表現を相互に躊躇しない集団を作り上げたいとなれば、表現の方法や様式についてレクチャーするだけでは片手落ちですが、かといって聞き手、受け手の心構えを伝授することがセットならOKなのかと言えば、もちろんそうならないのが難しいところです。私たちの言うところの「学級経営」は、そういった単純なリャンメン作戦でどうにかなるものではないのでしょう。

 「失敗を恐れず、表現することにチャレンジしましょう」という言葉は、失敗を過度に責められるような環境にいる子どもにどのように響くのかを、もしかしたら私たちは知らないのかもしれません。
 「人の話は目を見て、頷きながら聞くといいですね」という言葉は、何を話しても顔を背けられたまま対応された経験をもつ子どもに届くのでしょうか。
 安心して学ぶ、とはどういうことなのか、その内実がどんな色をしているのか、まだ考えられていないのかもしれないな、と思いながら、4月の教室を少しずつ作り上げているところです。