以前以後のお話10

 日が短くなってきている。19時台に沈んでいたはずの太陽が、気がつくと18時には地平線の向こうにある。毎年のことながら、きつい。実際きついなあと感じるようになったのはここ2、3年の話なのだけど。日照時間と精神的な働きとの相関については、体感として、ぼやっとした感覚としては掴んでいたのだけども、抑うつを超えるとどうしても両者の関係がくっきりとした輪郭をもって感じられるようになる。元々秋になると腰を痛めたり風邪をひきやすくなったりと体調面でガタガタしてしまうことが多かったのだけど、それはやはり精神的な部分が影響することが大きかったのだなあ、ということを確認する。

 秋冬の乗り越え方を考えたい。どちらも好きな季節だし、心穏やかに過ごせればもっと好きなのだろうなと思う。ふと顔を上げて窓の外を見やるともう真っ暗、という季節がもうすぐやってくることを想像すると、少し気持ちは塞いでしまうのだが、23.44度傾いた地軸についての恨み言は虚しいばかりである。闇を愛する方法論が自分の中にうすぼんやりとしかないことを恨めしく思うのも、また別種の虚しさがある。

 闇。
 夜の闇。
 全てを吸い込んでしまいそうな黒い夜を愛することができたら。恐怖の対象としての闇と、信仰崇拝対象としての闇。恐れたり畏れたりするのは、闇が何も返してくれないからだろうか。そうなると、闇の中には自分一人である。闇という自分しかない空間において、自分をどこまで肯定できるのか。徹底して自分と向き合わねばならないのだろう。
 そうなってくるとやはり、私は「文章を書く」という行為に救済を求めようとするのである。