休日なんて

 休日なんて、あんまり好きじゃないんだよ。というのは、心の疲れが自覚されたときによく思ったことである。
 さて。心が壊れたとき、心が疲れたとき、心がしんどいとき。休日に恐ろしさが忍び寄ってくることがある。どうしようもない虚無感や恐怖、圧迫感や焦燥感。じゃあ、それらはなぜ発生するのか? それらに対処するには? 残念ながら、そこに至る明快な答えも道程も私は持ち合わせていない。しかし、なんとなく朧げに掴みかけているものはある。

 なんで休日が恐ろしいのか。サザエさん症候群とかそういう話ではない。
 単純に、考えることが多過ぎるのである。多過ぎる上に、高度化しているし、複雑化している。仕事、人間関係、行政上の手続き、ご近所付き合い、子育て、ペット、恋愛、SNS、エトセトラ、エトセトラ。
 そういったアレとかコレとかソレとか。とにかく考えることが多過ぎるし、難し過ぎる。もはや凡百の私でさえも、それなりのポジションに就いてしまっているので、後戻りは難しくなっている。考えることと情報の奔流が絶え間なく押し寄せる。それは、休日であっても。

 なので、考えないようにするのである。まあそれが難しいんだけど。
 生きることを考える。生き残ることだけを。水を飲む。飯を食う。体を温めて、よく眠る。これは心の回復のための常套手段とされているが、なんのことはない、生き残るための、生存のための手段である。
 休日に何もしないことで心を回復させること。それは、もっと単純化するのであれば「愚直に生き残る」を選択することである。

 だから「気晴らしに出かける」「汗をかく程度の軽い運動をする」とかそういうのは、もっと先の話になる。別に旅行しなくたって運動しなくたって生きていける。生き残れるという確信がもてた時に初めて旅行や運動、娯楽が生きて輝く。

 心が疲れたら、ウンコ製造機になりゃいいのである。極端だけど、そういうことなのだ。