雑然に対して感じる恐怖

 色んな意味で頭を抱えてしまった。
 こういった記事が世に出ていること。大きな媒体に、誰もがアクセス可能な状態で、センセーショナルな見出で載っていること。
 ヤフコメは引き続き地獄の具現なので触れずにいくけども、ああ、世間一般の「学校教育」に対する認識とはやはりこの水準あたりをうろうろしているのだろうか、と。

 大坪氏の主張は”雑然”としていて何だかよくわからない。新学習指導要領に対応しきれていない学校現場の落ち度はあっても、それに対する回答は非常に雑然としていて何だか掴みどころがないのだ。

 学校のクラス担任が受け持つ生徒はせいぜい30人余りです。学年も学校も異なる小学生から高校生までの児童・生徒150人全員を指導し、さらに経営を学ぶために大学院に通っている私から見れば、「忙しさ」は時間をかけられない理由にはまったくなりません。業務全体の効率を上げる、ポイントを絞って的確に指導を行うなど、まだまだ見直せる余地はたくさんあるという気がします。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1e730ebe89e70d44941181dcedad9dfecc793781?page=2

 まず上記のガバガバ感には一層深く頭を抱えてしまうのだが……。中学校を想定しているのであれば「せいぜい30人余り」というのがどれほど的外れかわかるだろう。教科担任制の中学校であれば、自分が担任する学級の生徒以外に、学年の生徒100人くらいを受け持つことになる。ここは学校規模にもよるところだが、つまるところ、認識がおかしい。「小〜高までいろいろな生徒を教えている」とは言うけど、公立の中学生だってそれと同等か、それ以上にバックグラウンドがバラバラであり、単純に「塾と学校、どちらが多様で対応が難しいか」という議論にはならないだろう。
 また「業務全体の効率を上げる」「ポイントを絞って的確に指導」というのも、そのノウハウを共有してもらいたいというのが率直なところである。(当然、学校現場もまた塾のノウハウについては積極的に取り入れていくべきであると考えている。)
 ただ、穿った見方をすれば「俺はノウハウを持っている、お前たちは持っていない。だから俺の方が優れているのだ。」に聞こえるので、この辺りは結構注意深く述べていただきたいのだが、う〜んってね。

 私が生徒から学校の話を聞いていて憤りを感じたのは、多感な年頃の中学生に向かって「おまえたちは(ほかの学年に比べて)レベルが低い」といった言葉を、平気で口にする教師がいることです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1e730ebe89e70d44941181dcedad9dfecc793781?page=3

 そりゃあ大問題である。そして、その個別ケースがあたかも多くの中学校でまかり通っているような書き方になっているのも問題である。
 そしてこれこそがこの記事が言わんとすることの本丸だろうなと考えている。つまりは「意欲」。児童生徒を「その気にさせる」ためのあれこれ。

 「多感な年頃の中学生」がその気になれば、何だってできてしまうのである。若さゆえの無根拠な万能感。そこにアプローチしていきたいのだけど、それが難しい時代なのである。学校も、家庭も、社会も、疲れ切ってしまっている。意欲が大事。それはそう。でもどうやって? そのソリューションを探すための体力は少しずつ削られてしまっている。

 学校だけでは探せないのである。学校だけでは解決できないのである。この「意欲」にまつわるあれこれは、まさに公教育も私教育も、行政も地域も家庭も、あらゆる機関やら団体やらが手をとって考える必要があるのだ。そこには大坪氏が学んでいるという経営学もまた寄与すること大なりである。
 個別のケースを取り上げて十把一絡げに「学校がよくない」と断罪するだけでは、この難局は見ることすら叶わないのだから。