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「要領良く」の本当の意味

小学生になると、近所の友達は少しずつ環境に合わせて変化していくものです。

私の場合、小学生の近所の友達は、それはまるでドラえもんの世界と一緒で、

体が大きくて少し太ったリーダー格のTくん(ジャイアン)
小さくて目が細くて口が尖ったOくん(スネ夫)
近所に一人しかいないショートカットの女の子Iちゃん(しずかちゃん)

そして僕。

で、僕は何役かというと、残念ながらのび太ではなかった。

なぜか、小学校1年生から6年生まで、ずっと学級委員の役割がついて回りました。

低学年の頃の学級委員は先生が決めるものでしたが、中学年から高学年にかけてはどちらかというとみんなが面倒くさがる役回りの学級委員というポジションを

「前田くんでいいと思いま〜す。」

の一言を誰かが発して

「賛成で〜す。」

という流れの中でおさまっていった感じ。

なので、ドラえもんでいうところのポジション的には、出木杉くんという役割だから、のび太ではない時点で間違いなく物語の主人公ではないわけです。

それは現実の世界でも同じことで学級委員がクラスの中心という構図ではなく、クラスの中心は別の誰かがスターとして絶えず存在しているわけです。

ドラえもんの場合は、クラスの中心人物はのび太ではなく、ご存知の通りジャイアンなのです。
定期的に空き地でソロリサイタルを行なって近所の子供達を恫喝しながらも動員し、「心の友よ」という決め台詞で有無を言わせないあの説得力。
まさにスターの器です。

それに対して、私はその頃、クラスで一人気を吐いて

「学級委員だしな〜。しっかりしなきゃな〜。」

と思っていたわけです。

(真面目か。。。)

ポジションが人格を形成していくのか、とかく学級委員なんぞの役割を承ってしまうと、おいそれと悪いことなどできるはずもなく、むしろ模範生でいなければならないような生真面目さを示さねば!という日々を過ごすことになったわけです。

「要領良く」は突然に

小学3年生の時。
ふとした拍子に母親から言われた一言は、今でも忘れられません。

「あんた、Oくんをちょっと見習いなさい。あの子みたいに、もうちょっと要領良くやんなさい。」

と言われたわけです。

『・・・。』

絶句。

3年生にもなると、幼稚園の頃とは違い、考え方にも行動にも違いが出てきます。
その頃のOくんは学校でもよく叱られていました。

そ・れ・な・の・に、

なぜか、急に親がそのOくんを見習えという発言です。

これは迷うわけです。
小学3年生の頭で必死に考えたのを今でも覚えています。

『素行が悪くて評判が悪いやつの、一体何を見習えといっているんだろうか?』

なぜあの頃の母は私に向かってそんな言葉をかけたのでしょうか。

要領良くの本当の意味

ここで、まずOくんのことが出てくるにあたり、当時の母は私の何を見ていたのでしょうか。

時系列で考えれば、

1. Oくんのある言動を母は目にしたのか、もしくは彼の言動を誰かから聞いた
2. 母はOくんの言動と私の言動を比較した
3. 比較した結果、母は私に「要領良く」という言葉をかけた

となるわけですが、親が子供に何かしらのアドバイスをすることは、自分が親になると頻繁に行っていることなので、今になってみるとよくわかります。

要領良く」という言葉を私に投げかけたのは、子どもの将来を案じてかけたわけですから、何かしら「要領が悪い」ことをしていたのでしょう。

一般的に「要領良く」という言葉の意味合いは、

・手際が良い
・立ち回りが上手

ということを指します。
別の言葉で言い換えれば、

・適当に
・抜け目なく

といったところです。

その頃、クラスが荒れていて授業中静かにならないことが多々ありました。
静かにならないのは、学級委員の自分のせいなのかな?と思って静かにさせるようにかなり声を上げていた頃です。
そんな折に親から「要領良く」と言われたわけです。

なるほど、よくわからずに正義感だのを背負って言い続けていたところで、クラスは静かになるわけでもなく、なんだか疲れているような私を察してくれたのか、「要領良く」というアドバイスをしてくれたのだと思います。


その後、「要領良く」という言葉は時として頭の中で、思考する際について回るわけですが、手際良く上手に立ち回るという意味合いがなかなか馴染めませんでした。

(真面目か。。。)

なんだか、ずるいような気がして。。。

5歳から書を習っていたせいか、わからないことは辞書を引くことが習慣になっていました。

「言葉の意味は辞書に書いてあるから調べなさい。」

と両親が常日ごろ言っていた事もあるのでしょう。
だから、迷ったら調べるんですね。

そこで、「要領」を調べると、

物事の最も大事な点、要点

という意味合いです。
それを良くするということは、

物事の最も大事なことをしっかりと見極めよ

と解釈をしていきました。

効率よく、抜かりなく、うまく立ち回る

という意味合いとは異なるかもしれませんが、私にとっての要領良くは、

『そもそも、なぜクラスはうるさいのか?』
何が原因で静かにならないのか?』

そうです。

なぜ?

を考えることが、「要領良く」という解釈になったわけです。

なぜ?」を考えずに、なんとなく立ち回ると後でとてつもなく面倒なことが降ってくることがありました。
この回り道してしまうことを何回も繰り返すうちに、「なぜ?」を考えて「要領良く」することを心がけていくようになったわけです。

確かに、当時のOくんは、「なぜ?」を考えていたように思います。
素行が悪いといっても、

「なぜ?宿題で漢字を30回も書かなきゃいけないの?10回で覚えているのに。なぜ?」
→で、宿題の1/3しかやってこなくて怒られる。。。

「先週も地下道の掃除をしたのに、ゴミも落ちていないのに、なぜ今週もまた掃除をしなきゃいけないの?」
→で、掃除に参加しなくて怒られる。。。

といった具合です。

つまり、彼は「要領良く」=「なぜ?」を考えていたわけです。

いやいやいや、

「先生に叱られている時点で、要領悪いじゃん

って思いますよね。
だから、一見要領が悪いように見える彼を要領良く振る舞うお手本にしろというわけですから、これは結構考えたわけです。

考えた上で、なるほど親が伝えたかったのは、

「先生が出した宿題だからやることが当たり前だ。」
「毎週やることが決まっているんだから、掃除は今週もやって当たり前だ。」

といった「なぜ?」を考えないことは「要領が悪い」ということを言いたかったのだと思いました。

(こういう伝え方自体、そもそも要領が悪いように思うのですが。。。w)

それに気づいてからは、「なぜ?」から始まる「要領良く」(でも一般的には要領が悪いかもしれない)を実践していくことにしました。

しかし、これがまた大変で、「なぜ?」を考えると、なんだかとても面倒なやつにもなっていくわけです。

今度は、考えてばかりで行動できなかったりするわけです。
全てにおいて「なぜ?」を考えていると、「たいへ〜ん」となっていったわけです。

それで、「適度になぜ?を考える」ことをようやく大人になってから「要領良く」できるようになっていくわけですが、そこに至るまではたくさん失敗するんですね。

(振り返ると感慨深い。。。)

さて、その「要領良い」Oくんは、その後どうなったのか?
気になりますよね。。。

そしてOくんとの再会

高校を卒業してから、東京に出ましたからOくんと会うことはこの25年ほどありませんでした。
久しぶりに会ったのは、2年ほど前の同窓会。

すでに40代の半ばを過ぎましたから、歳を重ねてきてそれぞれがそれぞれの人生を歩んでいるわけです。

Oくんは元気でしたが、数年前に事故にあって、あまり昔のことが思い出せないんだと久方ぶりに会った私に話してくれました。

「前田やろ?やっぱり前田やな。あまり思い出せないけど、お前が前田だってことはわかるから。」

お前は昔と変わらず『要領が良いよ』。
それだけわかってくれていたら大丈夫だよ。
お前はわかってるじゃん。
大丈夫だよ。

そんなことを思いながら、

「俺も昔のことはあまり思い出せないけど、お前がOなことはわかるぞ。」

と言葉を返してお互いに、ニヤリとしました。

幼い頃の写真に、TとOと私の3人でOの誕生会を行った写真が残っている。
写真の中のテーブルには「さわやか」という福井では有名なメロンソーダの炭酸ジュースを入れたグラスにアイスクリームをのせた飲み物が振る舞われている。

自家製クリームソーダなんて飲めるハイカラなOはスネ夫だったよ。

また会えるかな。
スネOに。。。

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