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古民家の火

焚火の会は、毎月珊瑚荘で開催している教育活動。

▼参加はこちら
https://tokyosawyer.tokyo/participation/

今年に入って3回おこなった焚火の会。

は、いつも日曜日からはじまるのではなく、実質前日土曜日の夜から始まっている。

原レイの管理の下集まる中高生数名が夜に焚火・薪ストーブを繰り返し、朝自由に時間を過ごした後、私たち「デイキャンプ組」がやってくる。

古民家玄関をあけてすぐにある囲炉裏付きの板間は、誰もいないとき素足で歩けないほど冷たく凍っているようだが、半日薪ストーブを焚き続けると床と柱から熱がほんのり伝わってくるし、数名の中高生が団子になって談笑するのもあって、私たちが到着する朝、古民家は冬でも暖かい。

朝到着すると代表理事である私は、社員たちに近況報告をする。最近社員それぞれにもやりたいことが生まれ、もう少し社員を増やそうかと話しているところである。何をやるにしても分担する社員数が少ない。あと5名くらい中高生社員がいると、もう少し活気が出るかもしれない。現状のバランスシートがどんな感じか。今日のイベントは何かなど話し合いを軽く済ませると、そのうち「おはようございます!」と車組の子どもたちが現れ始める。10時まえだ。

それからしばらくして、電車組も合流し、裏の畑で焚火をやる子、古民家のなかで談笑する子、幾人かの母親たちが昼食の準備をしながら談笑する。

プチ合宿は原レイが夜・朝の食事を準備する。だが、昼食を準備するのには人数が増えすぎて結構手間がかかるので、ここ最近私は昼食の準備をしていなかった。それを見ていたお母さんたちが、率先して昼食の準備のない中高生のために食事の支度をしてくれている。

焚火の火が消えそうになったら、木を持ってくるのもそうだ。最近、焚火を管理した覚えはなくて、誰かが必ず木を準備してくれる。たいていはレイ君が気を利かせて、他の子を誘導しているのだろうけど、誰かが火をつけることが習慣になる。いや、誰か大人が火を絶やさないように子どもに遣いを頼むのが習慣になっている。子どもの方も嫌がりはしない。

中高生社員は古民家で固まり、何やら話し合いをしては、手作りのカードゲームで対戦しているだけでただ遊んでいるだけなのだが、そこに見知らぬ男子が混ざり、いつの間にか顔見知りになる。中高生の彼らは、入ってくる子が率直であるならば受け入れるし、話してほしくないという雰囲気の子には無理して語り掛けない緩急があり、それもまた他人と付き合う術であるなと感心している。

「みんなお知り合いなんですか?」と初めて参加した方に尋ねられることもあるが、決して参加者皆が知り合いだったわけでもないし、知り合いだったとしてもこれほどつながってはいなかった。元は焚火の会ってただ焚火しにいくだけだったかもしれないが、今はそうじゃない。

大きな玉ん中にみんなで入っている感じだ。

女性も参加しやすく(それまではトイレがないところで焚火していた)、夜な夜な中高生を集められるように古民家を借りて、私個人で管理するのには辛くなったので、それを少しでも役割分担するために、どのように運営していくかを話し合い、組織化して、子供たちに少し運営をかじらせはじめる。そうすると、周囲の大人たちもそれぞれが企画しはじめ、成長過程の子どもたちを包容する。
どうすればおもしろくなるか?という試みを繰り返していることでいつのまにか、生徒保護者教師とのつながりが強くなっているような感じもする。

いきなり参加した人のほとんどが面食らうが、それでも少しずつ継続して参加するうちに、その味わい深さを知ることになる(だろう)。

最近は、代表である自分自身、焚火の会へ行くと癒されているというか、胸あたりが温い。
古民家を中心として、関わる人たちの主体的な行動が連続して渦となり、自然環境のエネルギーとまじりあい、古民家が大きな光の玉みたいになっている。

もっとおもしろくする方法はないものか。

古民家の火を絶やさない、より良い方向へ行く試みとは一体何か。

結局飽きもせず、そればかり考えている。何かもっと良いアイデアないだろうか。




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