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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 序章の3

前回のお話は以下URLから


プロローグ(3)始発駅へ

7月8日、僕は自宅を出て、一路、最長片道切符の始発駅、稚内駅へと向かった。

0.3.1 寝台専用特別急行トワイライトエクスプレス号

▲ トワイライトエクスプレス

 大阪駅10番線ホームでサンダーバード19号の発車を見送った。大阪駅は建て替え工事中で、本来北陸方面への特急列車が発着する11番線は閉鎖中でフェンスで仕切られている。しばらくすると、深緑に鮮やかな黄色の帯を纏った出で立ちの機関車が、極めてゆっくりとした速度で入線した。機関車の前面中央部には自らの身分を主張するようにピンクのヘッドマークが映える。その後ろには機関車と同色の客車が連なり、日常に乗車する列車とはひと味もふた味も違う、荘厳ささえ感じさせるものだった。大阪駅の日常を非日常で梳いたかのようであった。そして、その醸し出す雰囲気は、大阪から遙か1,500キロ先の札幌までを結ぶ豪華寝台特急に相応しかった。トワイライトエクスプレスは僕の目の前で静かに停車し、そして客を迎えるために静かにその扉を開いたのである。

▲ トワイライトエクスプレス

 12時03分、寝台特急トワイライトエクスプレスは大阪駅をゆっくりとした速度で出発した。出発の際、比較的ゆっくりとした速度で動き始めるのは、何か特別な列車の趣を感じさせる。そもそも、駅構内の制限速度やその車両の持つ性能に関わるのだろうが、敢えてゆっくりと歩み出す様子は、これからの旅の導入部の演出ではないかとすら感じる。大変大仰な感じ方だが、そう感じさせてくれたことは僕の最長片道切符の旅を昂揚させるお膳立てとしては十分に期待させてくれる演出だった。

 トワイライトエクスプレスは、大阪と札幌を結ぶ寝台特急列車である。下り列車の場合、大阪を12時03分に出発し、東海道線、湖西線、北陸線、信越線、羽越線、奥羽線、津軽線、海峡線、江差線、函館線、室蘭線、千歳線、函館線を、約21時間を掛けて延々と走り、終着駅札幌には翌朝9時07分に到着する。車両の設備は豪華な寝台列車の旅をコンセプトに、A寝台2人用個室スイート、A寝台1人用個室ロイヤル、B寝台2人用個室ツイン、B寝台1人用個室シングルツインの各個室に加え、これまでの開放型B寝台(4人で利用の際は、コンパートメントとして個室にすることもできる)を擁する。そして、トワイライトエクスプレスの象徴的な車両である食堂車、サロンカーなどを擁している。食堂車は、今やその存在自体すら知られていないのではないかと思うが、しかしそれだからこそ特殊性およびその魅力を感じずにはいられない。停車駅は、新大阪、京都、敦賀、福井、金沢、高岡、富山、直江津、長岡、新津、洞爺、東室蘭、登別、苫小牧、南千歳の順に停車する。新津と洞爺の間は、時間調整や乗務員交代、機関車の付け替えなどの運転停車を除いては一切停車しない。その走りは、まさに特別急行列車の名にふさわしい。

▲ A寝台1人用個室ロイヤル

 僕のこの列車での過ごし場所は、2号車の4番室、A寝台1人用個室ロイヤルである。在来線は線路の幅が新幹線よりも狭く、複線間隔も狭いことから、あまり幅の広い車両を使えない。したがって、新幹線の場合は普通車でも3列+2列の座席配置となっているが、在来線特急の場合は2列+2列が限界で、最近のグリーン車では幅広のシートを設置するために1列+2列の配置にしているほどである。つまり、在来線の車両はそれほど幅の狭い空間しか得られないのである。そのような環境だから、国鉄時代の個室寝台となると、故・宮脇俊三氏が「独房のようだ」と揶揄したようにベッドと洗面所だけの簡素なものだった(実は、2007年現在も寝台特急富士号・はやぶさ号にその個室寝台は存在する)。ところがである。このトワイライトエクスプレスの個室、特にロイヤルは、そんな独房のような簡素な個室とはほど遠い、これが列車なのかと思わせる広さと設備を提供してくれるのである。

 室内に入ると、まず目につくのが大きな側窓である。この大きな窓は日本海側を向き、そしてその車窓を独り占めにできるのだ。そして、左には大きなベッド、真ん中にはテーブルと椅子、右側には液晶テレビ、シャワーとトイレが一緒になったユニットバスが設置されている。ビジネスホテルなら今や当然の設備で、むしろビジネスホテルの方が安価でより設備が良かったりする。しかし、ビジネスホテルと較べるというのはそもそもナンセンスな話ではある。どちらかの優劣を付ける話でもないからだ。

0.3.2 食堂車で昼食

 京都を出ると、山科から湖西線へと入っていくが、食堂車ではランチタイムとなる。かつては、新幹線でも在来線特急などでも食堂車が連結されており、昼食などを取ることができた。今では、食堂車はトワイライトエクスプレス以外には、他の一部の寝台特急にのみ連結されており、そのほとんどが夜間と早朝のみの営業である。大阪行きのトワイライトエクスプレスは、札幌を14時05分発なのでランチタイムの営業はしない。したがって、昼食を取ることのできる食堂車は、現在ではこのトワイライトエクスプレス、しかも札幌行きのみとなる。せっかく乗車したのだから、これを体験しない手はない。僕は、早速、3号車の食堂車へと向かった。

▲ トワイライトエクスプレスのオムライス

 トワイライトエクスプレスの食堂車は、ダイナープレアデスという愛称がついている。かつては、食堂車は「食堂車」という名称だったのだが、上野~札幌間を結ぶ寝台特急北斗星やカシオペアなどの食堂車にも名前がついている。これは、単なる食堂という位置づけではなく、レストランだということなのだろう。早速、ダイナープレアデスに脚を踏み入れた。進行方向に向かって左側には2人掛けのテーブル、右側には4人掛けのテーブルが配置されている。僕は、琵琶湖の見える4人掛けのテーブルに着いた。メニューを渡されて、あれやこれやと思案してから、オムライスを注文することにした。テーブルに出されるまでの間、すずらんの花のような傘の照明や、赤い絨毯、背もたれに独特の形を持つ椅子など、インテリアに目を配りながら、「これは特別列車の食堂車に相応しい」などと、一端のことを思うのであった。

0.3.3 北陸本線を快走

 昼食を食べ終わって自室へ戻った。満腹となって、些か瞼が重くなってきたのである。北陸トンネルを10分で駆け抜けると南今庄を通過するが、空は今にも降り出しそうな曇天であった。武生をゆっくりとした速度で通過し、鯖江で運転停車をした。サンダーバード21号を先にやるためである。すると、曇天にも関わらず、日が射してくる。どうにも変な天気である。僕としては、雨が降らなかっただけでも御の字なのだが、しかしながらどうせならば澄み切った青空を見たいものである。

 足羽川の鉄橋を渡ると福井駅に到着した。高架になって久しいが、まだ駅前の一部は更地のままで少し寂しい。列車は曇天の中を進むが、僕はそろそろ瞼に重たさを感じるようになったのである。昼食の後ということもあり、満腹感がそうさせたのであろう。そこで、ベッドメイキングを試すためだと嘯いて、しばし昼寝をすることにした。

0.3.4 夕食も食堂車で

 5時過ぎにアラームがなって、僕は起きた。顔を洗い服装を整える。僕にとっては、寝台列車で初となる食堂車での夕食のためであった。昼食が終わったのが午後2時過ぎで、夕食は5時半だから、先ほどの満腹感から解放されなかったらどうしようかと思っていたが、一眠りすることでそれは解消された。

 昼食の時に既に食堂車というものがどのようなものなのかは知っていたから、さして新鮮味も感じられなく、慣れた風で入っていったが、すべてのテーブルの上には食器類などが一糸乱れずに整然と置かれていた様子に襟を正させる思いをした。その迫力は第一番目に食堂車に入った者でなければ実感することはできないだろう。客を迎え入れるのは何もギャルソン(こういうときは敢えて「ボーイ」などとは呼ばないこととする)だけではなく、これから使われるために並べられた食器類もまた然りなのである。

▲ さあ、夕食の時間です

 僕がギャルソンによって席へと案内された。進行方向左側の2人掛け席である。皿の上には、ナプキンとメニューが置かれている。メニューといってもコース料理なので、そこから選ぶのではなく、今夜の料理は何か、すなわちワインを選ぶ際の参考にするわけである。メインは牛肉だから赤が合うとかするわけである。

 窓の外には有間川付近の日本海が見える。昨日までの悪天候が嘘のように、空は青々として海も青い。そして、太陽が西へ傾き、海を照らす様子が美しい。いよいよ食堂車に今夜の第一回目の客が勢揃いした。しかし、一人旅の僕の前には誰も座らない。

▲ 本格的なコースディナーであった

 ギャルソンが各テーブルにワインなどの酒類の注文をして回る。他の客はビールなどを注文しているが、僕は調子に乗ってワインを注文することとした。メインは肉料理だから王道は赤なのだろうが、ここは甘みのあるロゼでいこうと、大した知識もないくせに適当に注文する。

▲ 日本海に沈む夕陽

 フレンチは小出しのイメージがあるが、それぞれが結構な量があって、コースすべてを食べ終わると、満腹であった。僕は、その脚で4号車のサロンカーへ行ってみた。

0.3.5 夜汽車の始まり

▲ サロンデュノール

 サロンカーはいわばホテルのロビー的存在の車両で、こちらにも「サロンデュノール」という名称が付けられている。天井の縁まで伸びる大窓にはすべて進行方向に対して左、すなわち日本海側を向くという配置である。既に何人もこのサロンに腰を掛けて、談笑しては旅を楽しんでいるようである。僕は、日本海を向く座席に座って窓外を眺める。既に長岡を過ぎて新潟県の田園地帯を行っている。広大な平地に青々とした水田が一面に広がるのを見ると、越後平野は広いしさすが米所なのだと思う。そして、その向こうには上越新幹線の高架線路が横に一直線に伸びるのが見える。さらにその向こうには、沈みゆく夕日が最後の顔をチラリと見せたのである。まもなく夜の始まりである。二回目のディナーが始まる前に、僕は自室へと戻った。ディナーが始まった後では通り抜けはできないだろうし、できたとしても気が引けるものである。

 さて、ここからはいよいよ夜汽車となって北を目指す。僕は、終点まで乗っていれば良いので、比較的遅くまで寝ていても良いのだが、満腹感を失わせるために一眠りすることにした。


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