最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第25日目
前回のお話は以下URLから。
第25日目(2007年9月1日)
都城ー吉松(ー栗野ー吉松ー大畑ー)吉松ー鹿児島中央(ー指宿ー枕崎ー山川ー鹿児島中央)
25.1 吉都線
きょうから、9月である。最長片道切符の旅を始めたのが7月だから、これで月またぎは2回目となる。
5時過ぎにホテルを出た。僕の住む関西では多少薄明るくなっている時間だが、まだ夜は終わらず、真っ暗であった。経度を感じると同時に、すっかり秋めいてきたようにも思う。些か肌寒い。
駅前のコンビニで朝食を仕入れて、駅へと向かう。すると、みどりの窓口では何やら列をなして並んでいる人たちが多数いた。駅の張り紙を見ると、東国原宮崎県知事をイラストに使った記念きっぷが発売されるのだという。その列だったのだ。そういうことならばと、僕もその列に加わって、そのきっぷを購入することにした。
5時半に窓口が開き、記念きっぷを購入して改札を通る。駅舎に隣接する1番線ホームへ出ると、空が薄明るくなっていた。地下階段を渡って吉都線の列車が出発する5番線ホームへ向かう。キハ40形の一両編成で、室内灯の点いた車内には誰もいなかった。
コンビニで買っておいた「かしわめし」を食べて朝食とした。西都城駅で営業している駅弁屋さんの「せとやま弁当」が監修したものだそうで、旨かった。
5時43分発の普通隼人行は吉都線の始発列車である。都城を出発したときには、乗客は僕一人だけであったが、途中駅から徐々に客を拾っていく。それでも、満席になるほどではなかった。きょうは土曜日だからだろうか。
吉都線は、都城市から北へ進路を取り、小林駅の辺りからえびの高原の北側を回り込むようにして西進する。ちょうど、宮崎県の南西部を行く路線なのである。山と山の間にできた盆地に敷設されているから、たいていの車窓は人家や畑があり、その向こうに山が連なるのが映る。
小林駅に到着した。吉都線の中核駅であり、沿線でも都城市の次に大きな街である。ここでは乗客が数人入れ替わった。学生時代の友人が小林市におばあさんの家があるとかで、良いところだ、星がよく見える、斉藤慶子の出身地だなどと、散々小林自慢を聞かされたのを思い出した。斉藤慶子は懐かしいし、星は見てみたいと思った。
7時17分、列車は肥薩線との接続駅、吉松駅に到着した。吉松駅は、鹿児島県湧水町の駅である。
25.2 青春18きっぷで寄り道(1)
最長片道切符の経路では肥薩線を南へ進む。この後、僕も南へ進むからそのままそれを使えば良いのだが、栗野まで行った後、再び吉松に戻り、今度は肥薩線を北へ寄り道することにしている。そして、更に吉松駅へ戻り、そこからは特急でそのまま鹿児島中央駅へ向かうことにしているから、車内改札の時に「栗野まではこの切符で、栗野からはこちらの切符で」などと説明するのは面倒だ。寄り道している間は普通列車しか乗らないので青春18きっぷを使うつもりでいるし、それで特急を利用することはできないから、どうしたって吉松から普通乗車券が必要となる。そうであるならば、最長片道切符の利用を一旦吉松駅で打ち切って、行ったり来たりしている間は青春18きっぷを利用した方がスマートだろう。ゆえに、僕は吉松駅改札へ行き、途中下車印をもらい、そして青春18きっぷに今日の日付印を押してもらった。
したがって、最長片道切符の経路をそのまま進むが、利用している切符と気持ちの上ではあくまで寄り道となる。2日目に釧路湿原で一時中断したのと同様である。7時35分の隼人行の普通列車は、列車番号は変わるが都城から乗車した列車である。その列車を9分、一駅分だけ乗って栗野駅で降りた。
25.3 青春18きっぷで寄り道(2)
栗野駅に立ち寄ったのは、切符を購入するためである。赤い色をした軟券といわれるタイプの特定特急券や、薄いグレーをした補充片道乗車券、緑色をした料金補充券などを購入する。料金補充券は、この後、吉松からの特急列車用に買ったものである。窓口のお姉さんと話をして盛り上がっていると、都城行の列車の到着時刻となり、僕は礼を言ってホームへと急ぐ。
駅舎に接するホームはあるが、これはかつて栗野と水俣とを結んだ山野線の専用ホームで、線路も剥がされていて、今は使われていない。肥薩線へは跨線橋を渡って島式のホームへと行かねばならない。僕は、跨線橋の上から入線する列車を撮影した。
8時02分発の都城行はキハ40形の単行である。車内は空いているが、一人旅の旅行者の姿も見られた。今度は、勾配を上がるからか、11分掛けて吉松に到着した。
25.4 青春18きっぷで寄り道(3)
吉松からは、9時07分発の普通人吉行に乗り換えた。やはりキハ40形の単行である。僕は、進行方向右側のボックスシートに陣取った。乗客は少なかった。
肥薩線は、その路線名からも伺えるように、熊本県にある八代駅と鹿児島県にある隼人駅を結ぶローカル線である。元はこちらが鹿児島本線であり、その歴史は古い。現在は、運行系統が三つに分けられており、北側から八代~人吉、人吉~吉松、吉松~隼人でそれぞれ折り返し運転をしている。これらを直通する列車はなく、必ず、乗り換えねばならない。中でも今、乗車している区間が最も閑散としていて運行本数も少ない。しかし、日本三大車窓の一つと謳われた景色が見られる区間であり、ループ線や二箇所のスイッチバックなど活きた鉄道の技術が見られる濃密な線区である。日本広しといえど、日本三大車窓、ループ線、スイッチバックがセットになった線区はここだけであろう。しかし、この区間は最長片道切符の経路には含まれない。だからといって、乗ってはいけないというわけでもない。花咲線や五能線、木次線にだって別途乗ったのだから、今回も乗ろうと決めたのだった。
最初のスイッチバックがある駅、真幸駅に到着する。到着後に運転士が後方の運転台へ移動する。列車は進行方向を変えて出発する。ポイントを渡って別の線路へと向かう。そこで一旦停止して、また運転士が移動する。列車は進行方向を元に戻して進む。
勾配をぐんぐんと上がっていく。エンジン音が唸るのでそれがよく分かる。蒸気機関車の時代には相当に苦労した線区だったろう。その急勾配を上りきると、右手車窓には日本三大車窓が広がるのが見えるはずだが、うっすらと白く霞がかって見渡せない。狩勝峠のことが不意に頭を過ぎったが、やむを得まい。自然に抗うことなどできないのである。
矢岳駅を出て、今度は下り勾配に掛かる。車窓にはループ線が見られるはずだが、これもよく分からない。そのままクルッと円を描くようにして、列車は下までやってきた。駅でもないところで列車は停止する。2回目のスイッチバックである。運転士が移動して列車はゆっくりとバックする。ポイントを渡って、駅へと入る。9時49分、大畑駅に到着した。
25.5 青春18きっぷで寄り道(4)
大畑駅は、「おこば」と読む。焼畑のあったことに由来するのだそうだが、周りは木々の生い茂る山に囲まれて、畑は見られない。あるいは、駅から少し離れたところまで行けば、それらの跡を見ることができたのかもしれないが、僕は駅舎をじっくりと見て回るのに時間を費やした。
駅舎は木造で日本家屋を思わせる造りのものだった。白壁が美しく、駅というよりも地方の豪農の家のようである。
ホームに出ると、日が射してきた。天気は回復したようである。この分だと、ループ線の眺め、日本三大車窓は期待できそうである。
ホームで待っていると、赤い色をした2両編成の気動車が入線した。観光列車のいさぶろう1号である。顔つきこそ吉都線で乗ってきた車両と同じだが、中に入るとその設備の違いに驚く。ボックス席にはテーブルまで付いていて、飲み物を置くのにも便利だ。僕の席は2号車11番D席であった。ちょうど、ループ線や日本三大車窓を眺められる窓で都合が良い。
10時21分、いさぶろう1号は大畑駅を出発した。入線した方向へ進むのでバックする形となるが、これがスイッチバックのためであるのは先述の通りである。
進行方向を元に戻して、列車は山を登っていく。直線で上るには勾配角度が急なので、高速道路のインターチェンジのように円を描くようにして上っていく。これまでループ線は、上越線で通ってきたが、今回はあちらは勾配を下る部分だけを乗ったので、勾配を上がるループ線を行くのは今回の旅では初めてである。
そう考えていると、ある若い女性がやってきた。彼女はこの列車のアテンダント、いわば客室専務車掌である。きっぷを見せると手際よく車内改札を済ませる。
勾配を上りきると、列車は減速して徐行した。先ほどの女性アテンダントが車内アナウンスで、ループ線について案内をする。乗客は皆、左側の窓へと顔を向ける。僕も同様に窓を覗くと、眼下に線路と分岐点が見えた。
再び動き出して、頂上を目指していく。しかし、そこへ行くまでに列車は峠の駅、矢岳駅で一休みする。矢岳駅では数分の停車時間があって、駅にあるSL展示館を見学することもできる。僕は矢岳駅の駅舎を見に行くが、こちらもまた大畑駅と同様に木造の古めかしい駅舎であった。
10時49分、矢岳駅を出発した。さらに勾配を上がって、トンネルへと入る。それを抜けると、列車は減速して、今度は停車した。再びアテンダントの放送があって、日本三大車窓の一つ、矢岳峠からの眺めだと案内してくれた。やはり、ここでも乗客はそのアナウンスに合わせて左の窓を見る。さっきは曇っていたが、今は幸いにも盆地が見えるほどまでに視界が開けていた。
ここから列車は下りに入る。グングンと下っていく。真幸駅ではスイッチバックを経て、駅へと入線した。さっき通ったときにはなかったミニ売店が開かれている。観光列車用なのだろう。僕はそこで焼き鳥を購入した。
真幸駅を11時06分に出発した。さらに勾配を下っていき、山の中から急速に開けた土地へと出る。人家が多くなってきた。まもなく終点の吉松である。11時16分、吉松駅に到着。寄り道を終えた。
25.6 はやとの風
11時19分発の特急はやとの風1号に乗る。2両編成の真っ黒に塗られた車体は何かSL列車の趣を感じさせる。こちらも普通列車と同じタイプの車両だが、車内は特急列車仕様のものだった。僕は自由席利用なので、後部車両へと乗り込む。
ここからは最長片道切符の利用に戻す。栗野駅で買っておいた特定特急券と最長片道切符を差し出して車内改札を受ける。こちらもいさぶろう1号と同様、女性アテンダントの乗務であった。
栗野駅を出て、大隅横川駅に停車する。相当な古さの木造駅舎で、聞けば明治36(1903)年に開業して以来の駅舎で100年以上の時を経て、今にその姿を残している。駅の柱には穴が空いているものがあり、第2次世界大戦中の機銃掃射の跡だという。黙して語る歴史の一証人であった。
霧島温泉を出ると、また古めかしい駅に停車した。嘉例川駅である。こちらも大隅横川駅と同じく、明治36(1903)年開業の駅で、開業以来の駅舎である。100年前の駅はこのような形状をしていたのだと思った。肥薩線は、観光客をタイムスリップさせるようである。
嘉例川駅では、地元の人たちによる売店が設けられていた。5分間停車するので、乗客は駅の外へ出て買い物や記念撮影などをする。僕は弁当を買いたかったが、売り切れだそうで、代わりに「がね」という天ぷらを購入した。
「がね」は、牛蒡や人参などを衣に混ぜて揚げた、いわばかき揚げであり、その形状から蟹が訛ったものだという。ドーナツのような食感の、美味しい天ぷらであった。これだと、おやつにも良い。
隼人駅からは日豊本線に入る。しばらく走ると、左手には海が見え始めた。鹿児島湾であり、前方には円錐形の島が見える。桜島である。桜島は、大正時代まで文字通り、島であったが、大正3(1914)年の噴火により島の南東部へ溶岩が流出し、大隅半島と接して陸続きとなった。鹿児島湾を挟んで日豊本線側から見れば、相変わらず島に見えるが、実際はその裏側で陸続きとなっているのである。
末広がりの桜島は美しかった。頂上は雲か噴煙かは分からぬが、それによって隠されて見えない。桜島は今でも活火山であり、鹿児島市内にも降灰するという。
鹿児島駅から鹿児島本線に入る。街中のトンネルを抜けると、終点の鹿児島中央駅に到着した。12時50分到着である。僕は、きょうはここで最長片道切符の使用を中断することにした。今回の最長片道切符の旅ではその経路に含まれないが、指宿枕崎線に乗って故宮脇俊三氏がした最長片道切符の旅の終着駅、枕崎駅を訪問しようと思う。
僕が乗りたい指宿枕崎線の列車は、14時40分発でまだ2時間弱ある。そこで鹿児島市電に乗って鹿児島駅までを往復することにした。僕は、鞄をコインロッカーへ預けて身軽になって、駅前の市電乗り場へ向かった。
25.7 青春18きっぷで寄り道(5)
14時10分には鹿児島中央駅まで戻ってくることができた。昼食は、はやとの風1号で食べた「がね」だけだったので、弁当屋を覗いて、「えびめし」を買った。「えびめし」は出水駅の名物駅弁だから、鹿児島中央駅で買うことができるとは思わず、意外な出くわせに内心喜んだ。
それを持って、今度は今朝寄り道で使った青春18きっぷを提示して改札を通る。2番線へ行くと、黄色の車体をした特別快速なのはなDX7号が入線した。黄色は、春になると指宿枕崎線沿線に咲くなのはなをイメージしているといい、そこを走る快速列車にも文字通りの愛称が付けられている。この列車は、特別快速で快速よりも格が上であるが、それは停車駅の数の違いによるものではなく、連結されている設備の違いによる。
なのはなDXには、普通車指定席の設備が1両連結されている。僕は、その車両へと乗り込んだ。車内は、はやとの風と似たような雰囲気で、木製のリクライニングシートが並ぶ。シートにはパッチワークの柄をしたクッションが付いていて明るい。
14時40分、特別快速なのはなDX7号は8割というそこそこの乗車率で鹿児島中央駅を出発した。指定席車だけで8割だから、自由席車は立席が出ていたかもしれない。
僕は、早速えびめしを開いて昼食とした。えびのおかずがふんだんに詰められた駅弁である。
鹿児島総合車両所の横を通って鹿児島市の南部を目指して走る。住宅街の中を通るから、この辺りだけ見ていると都市路線のようでもあるが、非電化単線なのでやはりローカル色を感じてしまう。南鹿児島駅の手前から左車窓眼下に鹿児島市交通局の軌道が見えた。路面電車とすれ違う。宇宿駅の手前まで並走すると、そこからは住宅の陰に隠れて見えなくなった。
慈眼寺駅を出ると、勾配を上がって坂之上を目指す。それまで目の高さにあった住宅が下がり、そしてその向こうに霞がかった桜島が浮かぶ。僕は、この坂之上辺りから見る桜島が好きで、自然と人間の共存を表す風景だと感じた。
坂之上付近からは、風景が途端に鄙びてくる。しばらくすると、左の車窓に海が見えた。鹿児島湾である。そして、その前方には巨大な石油コンビナートが出現する。幅の広い円筒形をしたいくつもの石油タンクが並ぶ。これらは新日本石油の石油備蓄基地であり、日本で使われる原油を2週間分貯めておくことができるのだという。ところで、工業に関する人工物は自然の風景を壊すと言って批判する人がいる。しかし、産業基盤の弱い地方都市では税収の確保を考えねばならず、風景よりも税収を優先せざるを得ない事情もまた考えねばなるまい。とはいうものの、これほどの石油タンクの眺めは見事であり、ここまで立派だと十分にこれもまた風景だと思った。
天璋院篤姫の別邸があった薩摩今和泉を出て、しばらく走ると終点の指宿である。15時34分に到着した。
25.8 青春18きっぷで寄り道(6)
指宿は、すっかり晴れていた。ここはまだ夏の日差しが多少残っている感じである。指宿駅の中には、砂むし温泉で汗を流す乙女の像が展示されている。まじまじと僕が見ていると、駅長さんがやってきて、「温泉行ってくると良いよ」と声を掛けた。駅長さんの薦め通り、僕も砂むし温泉で汗を流したいところだが、如何せん、砂むし温泉の楽しめる砂むし会館まで往復する時間はないようで、泣く泣く諦めることにした。
駅のスタンプを押そうと鞄の中からスタンプ帳を出そうとするが、見あたらない。どうやらコインロッカーに預けた鞄の中に仕舞ったままで、せっかく指宿に来たのだからこれも諦めるのは忍びない。僕は、駅を出て文房具屋を探すことにした。駅前には、立派なソテツの木が立ち、いかにも南国風な感じであった。幸いにも駅から徒歩数分のところに商店が建ち並び、その中に文房具屋はあった。
文房具屋のお姉さんに、スタンプ帳を探していると言うと、「スタンプ帳というのはないけれど、これなどどうですか?」と小ぶりのスケッチブックを差し出してくれた。スタンプを押すには丁度良い大きさなので、それを買って文房具屋を後にする。
まだ時間があるので、少し街を歩いてみることにした。文房具屋の側にある交差点を渡って歩いていくと、スーパーマーケットがあった。良い機会なので中へと入る。一通り見て、ジュースとお菓子を購入する。きょうは鹿児島中央に一泊するが、戻ってくるのが少々遅いので空腹時の非常食代わりである。
駅に戻り、スタンプを押す。枕崎行の改札が始まってホームへと向かう。キハ147形の2両編成であった。きょうは、この手のディーゼルカーにお世話になることが多い。考えてみれば、きょうは珍しく電車に乗らない日だなと思ったが、ふと鹿児島市電に乗っていたのを思い出した。
16時56分、枕崎行の普通列車が出発した。車内は案外空いており、僕の乗る車内ではボックスシートにも空きがいくつかあるほどであった。
指宿の市街を離れるとトンネルに入る。そこを抜けると場面が変わったようにして車窓には漁港が見える。山川である。山川を出ると再びトンネルに入って、また場面が転換される。車窓には田園風景が映り、木々の影が長くなっているのが見える。
列車は西大山駅に到着した。短いホームがポツンとあるだけの無人駅だが、かつては日本最南端の駅として脚光を浴びた駅である。2003年に沖縄にモノレールができてその座を奪われたが、今でもJRの最南端駅であることには変わりなく、ホームには「JR日本最南端の駅」と書かれた標柱が立てられており、北緯31度11分とある。思えば、今回の旅の始発駅は日本最北端の駅である稚内であった。稚内は北緯45度24分だから実にこの2ヶ月弱で14度13分も南下したことになる。角度にしてたかだか14度余りかもしれないが、移動距離は優に1万キロメートルを超えており、日本の広さとこの旅の長さを実感する。
左の車窓に開聞岳が映る。左右対称の見事な円錐形で、薩摩富士の異名を取る。そういえば、この旅でも「○○富士」という地方の名山をいくつも眺めてきたように思う。富士はそれだけ日本人にとって心のよりどころなのかもしれない。
西頴娃駅に到着した。山川以西では最後の有人駅であり、女性駅員がきっぷを回収している。ここからは、太平洋に沿って線路が敷設されるが、海は遠くにあり見ることはできない。専ら田園風景であり、ごくたまに森の中を突っ切っていく。
終点の枕崎には、18時08分に到着した。
25.9 青春18きっぷで寄り道(7)
故・宮脇俊三氏が最長片道切符の旅を終えた当時の駅舎はなかった。つい最近になって東へ数百メートル移設されたという。かろうじて、駅前のロータリーには灯台のオブジェが残されていた。僕は、この旅の先人たる彼が立ったであろう場所にはこの旅において何度となく訪れた。そして、この象徴的な場所に立つと同時に、僕の旅もまた終点が見えてきたような気持ちになって寂しく感じた。
18時17分発の普通山川行に乗る。指宿から乗ってきた列車の折り返しである。枕崎から乗ってくるのは、往路に乗ってきた鉄道趣味人と思しき男性の他は、地元の高校生だけであった。
薄暮の中を東進する。気温が下がってきたからか、空には薄い筋状の雲が出だした。こんな夕暮れ時の空を見ると、いよいよ秋めいてきたなと思う。稚内を出たときにはまだ本州が梅雨の頃であり、夏ではなかった。一夏をこの旅に費やして、3つの季節を跨いで日本を旅するという非現実的な状況を些か客観的に意識してしまった。いやいや、この場所でそのように意識してはならないのだ。まだまだこの旅の中にどっぷりと浸かっていなければ、目的地など目指せはしないのである。もし、現実に引き戻されてしまえば、瞬く間に僕はこの旅を放棄するだろう。ここまで来れば、それだけはどうしても避けたかった。まだまだこの気持ちの良い状況に浸っていたいのである。
右側のボックスシートに座って車窓を眺める。薄紫色の空とその下に薄オレンジの層が見えている。開聞岳の頂上には帽子を被ったかのように雲がかかっている。空がだんだんと暗くなってそのオレンジの色がより濃くなる。
学生が一人、また一人と降りていき、外も真っ暗になって車内も寂しくなってきた。西大山に着くが、暗くなってしまった今では標柱もよく分からない。窓からゴーッという音がして、トンネルに入ったことを知らせた。列車は減速していく。トンネルを抜けると、駅前の旅館の灯りが見えた。この旅館に泊まっても良かったが、そうすれば、明日、早めの列車に乗らねばならなくなるので、今回は諦めることにした。終点の山川駅に到着した。
25.10 青春18きっぷで寄り道(8)
山川駅では南側にある構内踏切を渡って乗り換える。これだけ歩かねばならないとなると、僕くらいの若造ならどうということはないが、お年寄りは大変だろうなと思った。
19時29分発の普通鹿児島中央行に乗る。指宿へ行くときに乗ったなのはな号と同様の黄色い車両だったが、車内はロングシートが並び、通勤仕様となっている。
指宿から何人か乗客を乗せる。観光客や地元の人などで多様だ。僕は腹の虫を鳴き止ませるために、指宿で買っておいた非常食を食べた。
終点の鹿児島中央には20時48分に到着した。コインロッカーから荷物を取り出して、再び改札の方へと戻る。しかし、その改札口は通り越して、少し歩いたところにあるホテルの入口へ向かう。今夜の宿は、JR九州ホテル鹿児島である。部屋に荷物を置いて、夕食の買い出しに駅前のスーパーへ向かう。駅前は車も人もまだまだ往来が激しく、鹿児島の夜は賑やかだった。
部屋に戻って夕食を済ませて、明日の予定を確認する。しかし、どこで一泊するかを決めてはおらず、少々思案した。そんなことをしているうちに時間は経ち、0時を回っていた。きっぷの有効期間はあと3日となった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?