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「お返し」の習慣をやめよう!

★★中国には「お返し」の習慣がない★★
NHKラジオ「まいにち中国語」5月24日の放送で、「お返し」をめぐる日本と中国の相違が取り上げられた。
日本では冠婚葬祭で金品を受け取ると、その「お返し」をすることが多い。出産の内祝い、香典返しなどの形で、受け取った金額の半分かそこらの品を「お返し」として贈る習わしがある。
番組によると、中国ではこのような「お返し」の習慣はなく、受け取ったままの状態が続く。相手方に何か起きれば金品を贈るが、何もなければ、受け取ったままの状態が何年も何十年も続く。

この違いから両国民の間で誤解が生じることもある。
番組での例を引くと、中国人のAさんに子供が生まれ、日本人のBさんが出産祝いを贈った。3か月たってもお返しがないので「Aさんは非常識だ」とBさんが腹を立てる。
反対の例は、アルバイト先で日本人のCさんが忙しそうにしているので、中国人のDさんが手伝ってあげた。その日のうちにCさんが「さっきはありがとう」とDさんにキャンディを3つ手渡した。Dさんは「仲間を手伝うのは当然なのに、その親切をキャンディ3つで返すとは、どういうことだ」と腹を立てた。

日本人のBさんが「中国にはお返しの習慣がない」と知っていれば、中国人のAさんに腹を立てることはなかった。
中国人のDさんが「日本にはお返しの習慣がある」と知っていれば、日本人のCさんに腹を立てることもなかった。

★★「お返し」の背景に商業主義★★
番組ではこの文化の違いを認識することに重点が置かれているが、私はもう一つ、商業主義の広がりを感じた。
検索したところ「お返し」の習慣は >>香典返しが慶事にも広がった<< >>江戸時代に始まった<< などと出てきた。いずれにしろ、それほど古い習わしではなく、商業活動が盛んになった江戸時代より後、商人たちが広めたのではないかと推察する。

中国のように「お返し」の習慣がなければ、商人は最初の贈り物相当の金額のみ受け取る。しかし、ここに「お返し」の習慣が上乗せされ、半額が「お返し」として返礼されると、商取引は1.5倍に膨らむ。この金額の膨張を商人たちは狙ったのではないだろうか。
「こういうときは皆さんお返しされますよ」と商人たちが触れて回り、やがて人々に受け入れられ、慣習として定着したのだろう。

★★エネルギーも、物質も、手間も気遣いも減る★★
一般論になるが、経済活動が盛んか否かは金額により判定される。取引高やGDPが大きくなれば、経済活動が盛んで、「景気が良い」とされる。
私は日本が高度経済成長を始めた時期に生まれた。金額が増えることは20世紀には美徳だったかもしれない。しかし、地球環境が脅かされている21世紀、金額の多さが美徳という発想を捨てるべきだと私は思う。暮らしから無駄を省き、より少ないエネルギー、より少ない物質消費で暮らせる社会を構築するべきだと思う。
この観点から、私は「お返し」の習慣もやめるべきだと思う。上に述べた1.5倍の商取引は1倍少々に縮むだろう。しかし、それでいいのだ。「お返し」の品を製造するためのエネルギーも、物質も不要になる。品を選ぶ手間も気遣いも要らなくなる。地球環境に優しく、煩わしさからも解放される。
「お返し、何にしようかな・・・」などと頭を悩ますのはやめにして、中国人のように「今回はいただくだけにして、先方に何か起きれば、お祝いしてあげよう」と気長にゆったり構えましょう。

イラストは イラストボックス より借用。

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