見出し画像

歯の使者がくる

またサナトリウム(と呼んでいるだけの何もないところ)に戻ってきてしまった。もう1ヶ月ちかく居る。夕方に水を500ml持って散歩にいく以外ほとんどなにもしていなくてからっぽになった。銀行口座の残高は1円で、仕事もなく恋人もいない。2016年以来の何もなさ。でも2016年はなぜか東京にいてしかもいまより7才若く10キロもやせていた。病気もここまでは悪くなかった気がする。7年かけて、ふりだしよりずっと前に戻った。

街のきらきらのシール

たまに病院にいくために街に行く。あまり落ち込んだり暗いきもちになったりするわけではないけど冷静にひとつも生きている意味がないから死にたいなと思います、とか医者に説明する。その帰り、バス停のベンチのすきまに挟まっている100円玉に指先を押しつけて無理やりたぐり寄せる。ほんとうはかなり生きる気でいるのかもしれない。図書館にも行った。本を3冊借りて、そのうち2冊を鞄にいれて、残りの1冊を抱えて帰ってきた。それだけでくたくたになった。体力がどんどんなくなっていく。こんなに心身が疲れきっているのにそんなに弱々しくなくてよく食べる自分の存在が不気味な木の根っこみたいで嫌だ。

この数年、たくさんあるうちのどれか選んですこしずつでも解決していかなければならない問題の全部を後まわしにした。生活は生活としてしがみついていなければ振り落とされてしまうし、部屋の鍵をかけるとかぬいぐるみの並びを整えるなどの簡単なことだけでもやることはたくさんあって、昼でも夜でも力尽きていた。
いつのまにか頭のなかにコンディショナのようなものを塗りたくって柔らかそうな言葉を組み替えたり取り外したりしながら、それを考えることとしてすり替えてしまっていた気がする。よくないことだ。このにきを書くのをやめたのもそのせいかもしれない。貧困の、ありのまま、がいいわけがなかった。自分にとっては。

お金も仕事も一人暮らしの部屋もなくなって、友だちからも遠いところに引っ越して、こんなに何もない中でいま残っているのは絵を描くこととか本を読むこと(本は最近になってまたすこしずつ読めるようになった)、あとはまだ知らない言葉などを調べてみたり中学英語を勉強してみたりすることで、生活としては夏休みの人より何もしていない。

ジャムという名前のクマ

人生うまくいっていたなあ、とおもう時期はほんのわずかしかないけれど、その時期にも自分は旅館の夕食のまえにねじねじの揚げたお菓子をひとりで一袋たべてしまったりしていた。


生きるなら、正気を保つために絵を描いたりしなければいけないなとおもう。今ならほんとうに何もないからなんでも選べる。でも早くしないといけない。すべての終わりがくる。

2023/08/30

✴︎歯の使者がくるぞ



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?