『おつかれヒラエスお夜食堂ーあやかしマスターは『思い出の味』であなたを癒しますー』第4話
第3話
第4話
終電で眠った私は、そのまま当たり前のように例の駅にたどり着くことができた。
どうやって来たのか? わからない。
ただ胸ポケットに入れていた、道順が書かれたショップカードを持っていると、自然と「また行ける」と思えたのだ。
「神様、ね……」
寂しい廃墟の商店街を抜け、一際明るく見える『食堂』のサイン板に向かって歩く。
ドアベルを鳴らして入店した私を、例の女中さんらしい女の子がきらきらの笑顔で出迎えてくれた。
「 いらっしゃいませ、お待ちしてましたよ〜!」
落ち着いた店内、笑顔で迎えてくれる女の子。
それだけで、胸がじんと満たされるような気がした。
仕事帰りに女の子のお店に行くおじさんってこんな気持ちなのかな、なんて思ったりする。
「今日はどこの席に座りますか?」
「そうね……」
ふと、カウンター席が目に入る。
ちょっとしたバーのようにお酒が飾られたカウンター席には、美しい生花も飾られている。毛糸編みのカバーがついた黒電話も置かれていて、雰囲気がある。
カウンターから奥のキッチンまで見えるのに気づいて、私は彼女に尋ねた。
「カウンター席でも良いかしら」
「もちろんです。お冷おもちしますね」
私がカウンターに座ると、女の子は三つ編みを揺らして奥へと入っていく。
カウンターは重厚にニスが塗られた木製で、しっとりとして触り心地が良い。
もちろん目の前にはしっかりコンセントが用意されていた。古めかしい店なのに非常に準備が良い。
「……今日は、充電だけ、ね」
少し考えて、スマートフォンは電源を切って充電器に繋いだ。
このお店で、携帯を出すのはもう嫌だった。
「こんばんは」
低い柔らかな声がして、私は顔を上げる。
カウンターから回ってお冷を持ってきたのは、女の子とは別の人だった。
「私が店長です。ようこそ『おつかれヒラエスお夜食堂』に」
長い髪を後ろに一つに括った若い男性だった。
バーテンダーのように白いシャツと黒いベストを纏っていて、片手に銀のトレイを乗せた立ち姿が絵になる。
髪は白髪ーーではない。銀髪だ。
彼は不思議なアシンメトリーの前髪で、片目を隠し気味にしている。
「あ……こんばんは。初めまして」
唇が弧を描き、男性はゆったりと微笑む。
芸能人のような、動画SNSに出てくる加工を施した美形のような、不思議な男性だった。ーーけれど奇妙に感じないのは、店がどこか非日常の雰囲気を漂わせているからなのか。
彼はお冷を置きながら眉を下げる。
「先日はご挨拶できなくて失礼いたしました」
「いえ、そんな……」
ただの客一人一人とちゃんと話すのか。
そういえばこの店は私以外に誰もいない。これでやっていけるのかな、とちょっと心配になるけれど、野暮な話だ。
「今夜も前回と同じ『思い出』になさいますか?」
彼の雰囲気に呑まれて忘れていた。私はカレーを食べに来たんだと、思い出す。
私は彼に頷いた。
「……お願いします」
「かしこまりました」
マスターは頭を下げると、流れるような仕草でカウンターを回り込み、奥のキッチンへと入っていく。
姿が奥に消える前に、私は思わず声をかけた。
「あ、あの」
「何か?」
「……あ……」
声をかけたところで私は我にかえる。
私は何が言いたいんだっけ、と。
ーー母の料理に似ていてびっくりしました?
ーーなぜわかったんですか?
ーー神様だからですか?
……なんとなく、どれを言うのも野暮なような、変な気がして。
私は「なんでもないです」と笑って誤魔化した。
「……美味しかったので、そのことを言いたかっただけです」
彼は切れ長の目を細めて微笑む。
「それは何よりです。今夜も、手早く美味しく作りますね」
彼が去っていくと、女の子の姿もいつの間にか消えている。
私は一人、お冷を飲みながら待った。
カウンターの奥から覗くキッチンも、ありがちな普通の清潔なキッチンだ。
古いものを丁寧に磨き上げられて、銀色のものはきっちり銀色に、白いものは白く輝いている。丁寧な暮らし、という言葉が頭をよぎった。
神様ーーというものだから、調理の音は聞こえなかったりするのかなと思ったけれど、キッチンからは手際よく料理をする包丁の音や調理器具を扱う音が聞こえてくる。
音に耳を傾けながら、私はお冷を口にした。ちょうど良い常温に近いお水だった。
「……水が美味しい……」
本当に、ただの水なのに妙に体によく染みる。
キッチンの料理をする音を聞きながら、私は目を閉じた。 スマホも何もない。耳元でうるさいものもない。売り上げのことも考えない。 そんな時間なんて貴重すぎて、ふう、とため息を吐く。 呼吸をするのが下手になっていたのかな、と思う。
「緊張やストレス状態が長く続くと、呼吸が浅くなるって言うよね。深呼吸……」
呼吸をして、意識的に悩みを捨てて。 そんなことをできるのも、このゆったりしたレストランの雰囲気のおかげだ。 目をめぐらせると、 女の子が丁寧に机を磨いている。 糊のきいた真っ白なエプロンの紐とおさげが揺れる様子を眺めているだけでも、とても幸せだった。
「お待たせいたしました」
第5話
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