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日差しをさける忍者のように

朝、電車を待つ数分間にあびる日差しが強くなった。駆け足で夏が近づいてきたせいだろう。

5分か10分。待つ時間はその程度だけれど、それでもじりじりと朝から強い日の光を受けるのがつらい。「日焼けしちゃいそうだ」という悩みもある。用意のいいひとは日傘をさしている。

先頭に並んで、「空いている座席争奪戦! 車内イス取りゲーム」に参加する気がない人は、駅のホームの壁沿いにならんで、すこしでも日陰の恩恵をうけるようにしている。わたしも、イス取りゲームは苦手だし、座れなかったらそれでいいやと思いながら壁沿いぎりぎりの、陰になっているところで電車が来るまでの時間を過ごしている。

最近、妙に気になる人を見つけた。

年配の女性なのだけれど、座りたい気持ちと、とにかく日陰に入りたい気持ちがまざりあっているらしい。等間隔に建てられている細い柱の陰にぴったりと身体をそわせている。柱の影は斜めにのびているため、身体もその影に入るようにと、妙な姿勢をとっていた。

また、その柱は細くて、からだ全部は日影におさまりきらない。どんなに細い人でも、身体の小さい子どもだって、はみ出るくらいの細さだった。どうしても、日に当たる部位はある。

その女性は折り畳み式の日傘を持っていた。日傘の使用法どおり、日傘をさせばいいのに。彼女は折り畳み式の日傘はささず、留め金をはずしたばらばらっとした状態で顔におおいかぶせている。そうして、顔全体を日の光から遮るようにしていたのだった。

日傘の使い方はそれで正しいのだろうか……? いや、もしかして、そこまで必死に隠れているには何か理由があるのかもしれない。

たとえば、絶対に顔を見られてはいけない相手が、向かいのホームにいるのかもしれない。とすれば、この年配の女性は、探偵なのだろうか? いや、もしかしたら忍者かもしれない。柱の影にどうしても身をひそめなくてはいけないという熱意のようなものは、隠密行動の真っただ中にちがいない。


そ知らぬふりをしながら、その女性の後ろに三十秒ほど立ってじっくりと見てしまった。女性はばさばさと音を立てる日傘の持ち方をときどきずらしたり、柱の影とからだの位置を微調整していた。

前方からの視線には気を配っているものの、後方からの攻撃にはおそらく反応できないはずだ。(たとえば、背後に回って膝カックンするとか)それほどまでに、日差し、または前方に見える何者かから存在を隠さなくてはいけない理由があるのだろうか。平和に見える、朝の駅のホームで。

声をかける勇気はなかった。

そして、「ふつうに日傘さしたほうが、日よけになりませんか?」と伝えることも、わたしにはできなかった。





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