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柿みたいな距離感の人

「ごめん、仕事中に」
夫から電話がかかってきたのは7月の終わりの暑い夕方だった。正確な日にちは覚えていない。夏休みが始まったばかりで、これからワクワクした毎日が始まるんだとでも言わんばかりにヒマワリが咲いていたことだけは覚えている。

「どうしたの? 今ちょっとなら手が空いてるから大丈夫だよ」
普段は仕事中に夫から電話がかかってきても、出られないことが多い。そのために、用事があるなら電話じゃなくてLINEして、と言っていた。だから、なにか急を要することが起きたのかな? と少しだけ胸が騒めいていた。

「あのさ、うらに住んでるの山本さんのことなんだけど」
夫の言葉に、少しだけホッとした。
両親のどちらかが倒れた、とかそんな内容が続くんじゃないかと不謹慎かも知れないが予測していたからだ。
だけど、その後に続いた言葉は、予想からかけ離れた内容じゃあなかった。
「いま、道ですれ違ったんだけど、なんかメチャクチャふらふらしてて。倒れそうなんだよ。で、救急車呼んだんだけどさ。山本さんの親族の連絡先なんて、知らないよね?」

「ごめん、知らないけど……。あ、入院するってなったら手続きに必要なのか」
夫の父は、脳梗塞で倒れていて入院している。その時に、家族による同意書の署名と捺印が必要だった。
「そう。もう、救急車来てるんだけど、本人の同意がないと乗せられないだとか親族は、とか言っててさ。まあいいや、とにかくやばそうだし、俺が付き添っていくかも知れないから」
夫は興奮した様子で、早口で私に伝え、そして電話を切った。

我が家の裏側にお住まいの山本さんは、ひとり暮らしだ。早くに旦那さんを亡くされて、十年以上ひとりで大きな一軒家にお住まいだった。

山本さんは、旦那さんが趣味で育てていた植物達の面倒をずっと見ていた。小さなビニルハウスが庭にあって、温度管理がお金もかかるし大変よ、と顔を合わせるたびに話していた。

「私は全然、植物のことは興味ないんだけど。でも、こんなにたくさんお父さんが残していったから、放っておけないのよ」

山本さんの家の庭には、柿の木があって、「たくさん実が成ってますね」と言ったところ、「ひとりだと、食べきれないから」と言って持ってきてくれた。実のところ、私も夫も柿はあまり食べないためちょっと困った。けれど「柿は苦手だから食べません」と言うのも忍びなくて、断れなかった。そうして「季節の果物はありがたくいただこう」と夫と言い合いながら山本さんちの柿は食べるようにした。

回覧板やゴミ当番のノートを山本さんちに持っていくと、玄関先でいつも引き止められた。誰かと話がしたいんだろう、と思って、よっぽど急いでいる時以外は話し相手になっていた。
甲高く、大きな声で、同じ話を何度か言ったころに、「あら、ごめんなさい。引き止めちゃって」と恥ずかしそうに笑っていた。

でも、その程度のお付き合いだった。
ご近所に住んでいるお婆ちゃんのひとり。

帰宅中、夫にLINEで確認してみた。
「山本さん、大丈夫そう?」
すると、こう返信がきた。
「わかんない。おれは付き添っていけなかったから」

家族じゃない人は、付き添っていけないのか。
仕方ないことだと思うけど、なんだかさみしい気もした。

帰宅して、夫に話を聞いてみると、夫も腑に落ちないようだった。
「山本さんのこと、認知症とかで意識がハッキリしてないんじゃないか? みたいな救急隊の対応でさ。病院に運んでもいいのかどうか、みたいな話になってるし。いつもはこんな、朦朧としてないんですって何回も伝えてさ。無理やり救急搬送してもらった」
思い出しながら話しているせいか、夫は時々視線を上に向けながら話していた。

「そっか。大変だったね。……大丈夫かな? 山本さん」
私は夫を労いながらも、山本さんのことが気になった。搬送された後、意識不明とかになったらどうするんだろうか? 時々、どなたかわからないけど訪ねてきてたような気もする。あの人は離れて暮らしている家族なのだろうか?
「ろれつも回ってなかったし、もしかしたら脳梗塞かも知れないな。はじめは熱中症かな? って思ってたんだけど……」
夫は自分の父が倒れた時のことを思い出しているようだった。

それぞれに心配していたけれど、山本さんの様子を知る手立ては何も無い。
私たちは、山本さんが戻ってきたかどうかを毎日「今日も洗濯物干してないね」「部屋の電気がついてないね」と気にしながら暮らしていた。
山本さんの気配はなくて、ただ残された庭には夏の精力的な植物たちがメキメキとはびこっていた。その一方で、ビニルハウスに入っていたり、山本さんが手塩にかけて育てていた植木鉢の植物たちは、ずいぶんとしょんぼりして力をなくしていた。

それから数日経って。
インターフォンが押されたので出てみたら、山本さんの親族の人だった。
静かな声だし、見た目もまったく似ていなかったけれど、妹です、と言っていた。
山本さんは、どうやら脳梗塞ではなかったけれど、腎臓をずいぶんと悪くされていたようだった。
ひとりで暮らしつづけるのは、もう厳しいらしく、退院後は妹さんの家からほど近くの老人ホームに移動する、とのことだった。
倒れた時のことは、山本さん本人は記憶がないらしく、なぜ救急車で運ばれたのかも分からないらしかった。
「もう、この家には戻られないんですか?」と妹さんに聞いてみた。妹さんは、ええ、おそらく。と伏し目がちに言った。

そうか。
もう、山本さんには会えないのか。
そう思うと、なんだか、寂しかった。

取り残された植物たちは、どうなってしまうのだろう?
聞きたかったけれど、聞けなかった。

「荷物の整理なんかで、私は時々来ますので」妹さんはそう言ってお辞儀をして去って行った。

特に仲良くしていたわけでもないし、
長話をちょっと面倒だなと思ったこともある。
だけど、もう二度と会えないのかと思うと胸が痛かった。
老人ホームに会いに行けば会える。
けれどそれほど親しい距離感じゃないのだ。

私たちの暮らしには、こんなことばかりなのだと思う。
同じ教室で、ずっと一緒に学んだ友達も、卒業以来連絡を取っていなかったりする。
元気かな? とは思うけれど、会いたいなあ、とまでは思わないほどの距離感。

そんなものかも知れない。

断れないからもらい続けていた柿のように。
自ら欲している訳じゃない。
だけど、なんとなく続いていて、「ああ、また今年ももらうんだろうな」と思っていたら、いつの間にかパタリと関係が終わってしまう。

そんなつながりが、ほとんどなのだ。

会いたい、と少しでも願う相手がいるのなら。
忙しいとか、タイミングが合わないとか言って先延ばしにしていないで、飛んで会いに行かなきゃいけないのだ。

あとでいいや。
いつでも会えるし。
そんな風に思っていたら、もう会えなくなってしまうかも知れないのだ。
打ち捨てられてしまった、ビニルハウスの植物たちのように。

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