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栗に教えてもらったこと。

「初物だし、せっかくだからもらってきたよ」
夫はそう言いながら、紙袋を私に手渡してきた。
私はありがとう、と紙袋を受け取り、袋の中をのぞき込んだ。
やれやれ、だ。
嬉しい気持ちもあるけれど、ちょっとウンザリする気持ちがどうしても混じってしまう。

紙袋の中にはたくさんの栗が入っていた。
夫の実家は、ちょっとした栗の畑があった。昔は観光農園のようなことを営んでいて、栗拾いや芋掘りに来る人も大勢いたという。しかし、今では栗の木が年老いてしまっていた。実をつけるのが減ってしまい、観光農園はやめていた。少しだけ取れる栗の実は、馴染みの人や知り合いに分けたり、「安く譲ってくれ」という業者にタダ同然の値段で渡したりしていた。
観光農園をやめたのには、もうひとつ理由があった。それまでは祖父が張り切って行なっていたのだけれど、その祖父は死んでしまった。義父があとを継ぎ、これまた張り切っていたのだけれど、病気で倒れてしまった。脳梗塞だった。幸い発見も早く、一命を取り留めた。それでも、身体の半身に少し麻痺があり、思うように身体が動かないのだ。だけど、それもありがたいことに、全く動かない訳じゃなくて、引きずりながらでも自分の力で歩いたりはできた。簡単な水やり程度ならば、すごく時間はかかるけれど義父ひとりでもできた。
「リハビリになるから、ちょうど良いんだよ」と強がりながら義父は笑っていたが、日によってはかなりしんどそうだった。

私たち夫婦は、夫の両親と同居していない。けれど、やはりそんな状況になっているのを放っておくわけにもいかない。シフト制の仕事をしている夫は、休みをうまく調整してもらい月に何度か実家の様子を見に行っていた。

九月の中頃に、夫が実家に帰った時のこと。もう栗の実がいくつも落ちてたよ、と電話がかかってきた。大きな台風も近づいてきそうだから、収穫できそうなものはもうとるよ、といっていた。いつもよりちょっと実のりが早いだとか、いや、いつも三連休にはお客様が来てたから例年通りだと、受話器の向こうで騒がしく話している義両親の声も聞こえる。
今年は、「急にたくさん必要になったとして業者から栗を分けてほしい」と連絡があって、その準備が忙しいといっていた。いつもより割高で買ってくれるらしく、なんとなく活気づいていた。
「余らないかもしれないから、お土産に持たせられないかも。ごめんなさいね」義母が申し訳なさそうに、私にあやまっていた。気にしないで下さいと、私も慌てて返事をした。

しかし。翌日夫が帰ってきたら。紙袋を持っている。
結構たっぷり、栗が入っている。
「初物だし、せっかくだからもらってきたよ」
うん。ありがたいことだよね。
美味しくいただこう。

この気持ちは嘘ではない。
だけど、私は正直なところ「やれやれ」とも思ってしまった。
栗は美味しい。
モンブラン、大好物。栗まんじゅう、大好物。
栗蒸し羊羹、大好物。栗ご飯、大好物!
でも、どれも「作ってもらったもの」なのだ。
自分自身で栗の料理をするのは、かなり大変なのだと気がついたのは実家から栗のおすそ分けをいただいた時だった。
初めてもらったときは「栗の渋皮煮」を作ろうと、張り切っていた。……そして心が折れた。栗を煮る。渋皮を傷つけないように外側の皮を剥く。砂糖などの味を染み込ませるためにじっくり実を煮ていく……。皮を剥くところでイヤになった。剥いても剥いても終わらない。栗はまだ山のようにある。丸一日栗と向き合い続けた。めんどくさいことに取りかかってしまったと後悔し、二度と作らないと心に決めたのだ。味は美味しかった。けれど、作業量が多すぎた。私は栗仕事に対して、甘く考えすぎていたのだ。

そんな経緯もあり、今年の栗はどうしたものか悩んでしまった。
その時、ふと「あ、そういえば!」と思い出したことがあった。それは料理家の土井義晴さんのツイートだった。

うちの栗ジャムは
はっきり言うて、ほんまおいしい。
だれでも作れるけど。
栗ゆでて、半分に切って、実ーほじり出して、鍋に入れて砂糖入れて、水おぎなって、火にかけて、なじませて、煮つめるん。

2016年10月3日に写真付きで呟かれていたものだ。
このツイートを見たときに「今度機会があればこれ作ってみようかな」と、うっすら考えていた。大量の栗を目の前にして記憶の片隅にあった偉大なるツイートが良い呪文のように呼び起こされたのだった。

台風が近づいていて、出かける予定もなかった。
さて、やるか! となったものの、このツイートは、レシピと言われると、多分そうでもない。
栗は何グラム? 砂糖は? 水は? 何時間ぐらい煮つめるの?
わからないことは多い。でも、もうこの土井先生のツイート通りにやってみよう! と決めた。めんどくさくて、放置して、栗にカビが生えてしまっては元も子もないのだ。

何もしない状態で大体1.5キロ近くあった栗を、鍋にザザーッといれて、適当に煮る。野菜とかでも20分くらい茹でればだいたい柔らかくなるだろうと、火加減と水を気にしながら、栗を丸ごと煮る。
その後の「半分に切って、実ーほじり出して」が、ちょっと大変だった。なんせ大量にあるのだ。だんだん腕が疲れてくる。栗があたたかいうちに作業したほうがスムーズかも知れない。もし近くに何か一心不乱に打ち込みたい人がいれば手伝ってもらうのもいいだろう。小さなお子さんがいるならば、半分に切った栗をスプーンでほじり出せばいい。実をキレイに取り出す必要もない。

ほじり出した栗をそのままつまんでみると、それはそれで美味しかった。
栗の実がヒタヒタにつかる程度に鍋に水を入れて、砂糖を加えた。甘くしたいならたっぷりと。私は甘すぎるのも食べ飽きるかと思い、きび砂糖を大さじ10杯程度いれた。ジャムにしては、多分砂糖の量は少ないだろう。

焦げ付かせると、すべてが終わってしまう。気にしつつ、でも張り付いて見ているほどでもなくじっくりと煮つめていった。水分がだいたいなくなったところで火を止めて、完成、ということにした。半日近くかけて作ったものは、ジャムというよりは栗あん、栗きんとん、みたいな仕上がりだった。
おやつの時間に間に合ったので、夫と食べると、甘さはかなり控えめだけれど美味しくできていた。

栗のお菓子や料理は、栗そのものの処理が本当に大変だ。うんざりするほどだ。
だけれど、そのうんざりの先に、頬っぺたが落ちるほどのおいしいさが待っているのも確かなことだ。皮付きのままでほったらかしているとカビたり、虫に食われてしまう。
そんなときに、土井先生のツイートのような「これぐらいなら私にもできるかも」と思えるきっかけを見つけられたなら、一歩踏み出してみようかな? やってみようかな? と思えることもある。
これだけじゃムリ。レシピとして分からないから、と考えて踏み出さないでいたら。きっと栗は食べられないまま、放置されていたと思う。

手をつけると、確実にめんどくさいと分かっていても、手を動かしてみたら、なんとか形になるものだったりするんだよな。
栗ジャム、もとい、栗きんとんをモグモグモグと食べながら、ぼんやり思う。

#エッセイ
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