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『十二人の怒れる男』【#まどか観劇記録2020 18/60】

あらすじ (公式サイトより転載)
蒸し暑い夏の午後、一人の少年が父親殺しの罪で裁判にかけられる。
無作為に選ばれた十二人の陪審員たちが、有罪か無罪かの重大な評決をしなければならず、しかも全員一致の評決でないと判決はくだらない。法廷に提出された証拠や証言は被告である少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。予備投票が行われる。
有罪11票、無罪1票。
ただ一人無罪票を投じた陪審員8番が発言する。
「もし、我々が間違えていたら…」
陪審員室の空気は一変し、男たちの討論は次第に白熱したものになっていく…

衣装と舞台美術の雄弁さ

舞台はアメリカ、少し昔の時代だと思われます。
この情報を、私は、セリフが発せられる前、役者が舞台に上がった時に読み取りました。

片側に5人が並んで掛けられる幅1.2mくらいの大きなテーブルを取り囲むように客席が配置されている。
テーブルと照明、天井からぶら下がるタイプの扇風機、下手側に流しが2台というごくごくシンプルな舞台セット。

陪審員という役割上、登場する男12人は普段の職業に関わらず全員がジャケットを着用し革靴を履いています。12人という人数は、初めてで把握するにはかなりの大人数です。それでも、彼らは全員ジャケットを着ているというのに全員がまったく違う。全く違っているのに、全員がアメリカのとある時代を彷彿とさせる。この作品において衣装が場所を、そして衣装と流しとスイッチの形状の古めかしさが時代を表現しています。

登場人物に説明させることなく、衣装とごくわずかな舞台装置だけで時代と場所を表現する。舞台は総合芸術だということを改めて感じました。

そして、とにかくセリフが多い。しかも独特なのです。
あ、元は海外のものだなとなんとなくでもわかる感じ。吹替映画を見ているような不思議な感覚でした。もちろん目の前の方々が話しているのだけれど。

さて、色々と前置きをしましたが、作品内容の感想を。


怒りのエネルギー

こちら観劇直後の感想です。

上演時間約2時間、舞台の上にはずっと、誰かの怒りがありました。怒りのエネルギーって自分に向かっていないものであっても、精神的に堪えるものだなと実感しました。最後の方は舞台上の議論も白熱してくるし、怒りの強さも強くなったりしてかなりしんどかったです。

あまりに誰もが怒っているから、「なんで人は怒るんだろう」と考えながら見ていました。

そうして観ていた中で考えついたことですが、人は自分の意見が正しいと思い込んだ時、他社を押さえつけようとするように見えました。そしてそこには怒りがあった。正しい自分になんで賛成しないのかという怒り、思い通りにならないことに対する怒り、思い通りにならないことから自分を守ろうとする怒り。

そして、不思議なのは、12人誰も自分自身のことではないのに(陪審員として話し合うのは裁判にかけられた少年の罪の有り無しについて)、いつのまにか自分のこととして本気で怒っているということ。自分の問題ではなくても、人が何かを考える時は自分のこのに引き付けて、自分に置き換えて考えるしかなくて、そこで否定されると自分を否定されたように感じて怒ってしまうのかもしれない。

理不尽に起こり始める男性がいたりして、うわぁと思ってしまうのだけど、その人は特別何か問題があるわけではなくて、いたって普通の人です。舞台上の12人全員、ああ、こう人いる、なんなら仕事の上司に似ている、わからずやのお客さんだ、というくらい身近に見つかりそうな人たち。

すごく人間臭い。頼まれてもいないのに、勝手に自分の人間性の深いところまでどんどんとさらけ出してしまって。その中で唯一、いや、唯二、冷静を保ち続けたお二人がいらっしゃって、作品ということを忘れて本気で尊敬しました。私も仕事や何かで理不尽なことを言われたり、誰かを怒らせてしまった時には、こう振る舞いたいと思ったものです。

すごく濃かった。濃く人間だった。
見ているだけで怒りに影響されてしんどくなるほどだったので、演じられている方々はいかばかりだろうと、プロってすごいなと思いました。

そういえば、観劇して数日ふと気づいたのだけど、一人一人あんなに印象に残っているのに誰の名前も知らない。彼ら自身も知らなかったんだろう、名乗っていなかったから。不思議なのは、誰も名前を聞こうとしないのに、職業は聞くのです。職業は自ら話すのです。
職業や肩書で安心するのかな。社会を表しているかのようで不思議ですね。

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上演は2020年10月4日まで。渋谷です。


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