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私の『深夜特急』香港の旅

現在、TBSラジオで放送中の『深夜特急on the road』。
毎日、radikoのタイムフリーで聞いてる。
ちょうど今週は香港、マカオの旅…
私の旅の記憶も紐解いて、
改めて言葉にしてみようと思う。

大学の卒業旅行に飛び出したのは、2000年。
上海から香港までを縦断する一人旅。
『深夜特急』にもあった重慶大厦(チョンキンマンション)に、私も女1人で宿泊した。
黒人とインド人ばかりの迷路のような建物に、
たくさんの安宿が軒を連ねている。
建物に入ると、キツイ香辛料の香り…と、怪しい客引き。
なんとも危険な雰囲気なのだ。
何も、私だって最初からチョンキンに泊まろうなんて考えてなかった。
最初は貧乏旅行でも安全で比較的リーズナブルなYMCAに泊まっていたのに…

中国大陸を縦断する間に、私はすっかり中国臭くなってしまっていた。
終着点の香港に着いてから、すっかり孤独になっていた。
それまで通じていた普通語(北京語)がほとんど通じない!至るところで聞こえるのは広東語。もしくは英語。
長旅の疲れもあり、気持ちがすっかり滅入ってしまっていたところに、YMCAのドミトリーで居合わせた西洋人女性に追い討ちをかけられた。
同室には中国大陸を旅してきたというその西洋人女性と香港に来たばかりという日本人女性。西洋人は、大陸の旅の中で、相当嫌な目に遭ってきたのか、中国人のモラルのなさとマナーの悪さに中国嫌いとなり、どんなに酷いものだったかをまくし立てていた。一方、私は一見無愛想な中国人も懐に入るとものすごく情に厚いという事や、如何なるタイミングでも怒る時は怒る、人の目を気にせず、どこまでも我が道を行く中国人にある意味清々しささえ感じていたので、“I like Chinese"と言ってしまってからは、もう1人の日本人女性と2人、私のわからない英語でひたすら話し、私はすっかり除け者扱いになってしまった。そして、私が粗相しようものなら、"Because she likes Chinese"と言って、スンッと鼻で笑うのだった。
その晩は、疲れているのになかなか寝付けず、孤独やなーと1人喘いでいると、夜中の一時頃、新入りでやって来た女性。孤独感でいたたまれなかった私が、思わず話しかけると、日本から来たと言う。嬉しくなってよくよく話を聞くと、日本で広東語を教えているという広州出身の徐さんという女性だった。同室の2人はすっかり眠っていたので、真夜中に2人ロビーに出て話し込んだ。
徐さん本当にいい人やった。少し風邪気味だった私のために一緒に薬局で薬選んでくれた。
この彼女から、「チョンキン、黒人ばかりだけど、それに慣れたら泊まれない事はないよ。」と教えてもらったのだった。宿泊代も更に安いしね。それから、一刻も早くYMCAから出たかったのだ。
翌朝、徐さんについてきてもらって、チョンキンへ。最初、『深夜特急』のドラマで大沢たかおが宿泊した宿にせっかくやからって行ってみたのだけど、2畳程のスペースに窓もない独房みたいで、何より汚くて臭かった…さすがに、ここはやめとこうとなり、チョンキン3楼のドラゴンインターナショナル…なんとかって言うところに決めた。
どの宿屋も入り口には異様に重厚な鉄の扉があり、カギがしっかりかかっていた。この物物しさが、かえって不安な気持ちにさせる…
案内された部屋は約3畳ほどのスペースに狭いベッド。ドアではなく、板で仕切られたその奥にトイレとシャワー。これがすごい。トイレの真上に固定されたシャワーがあり、シャワーを浴びるには便器をまたぐか、上半身だけ身を乗り出さないといけない。案の定、シャワーの後は便器までビチャビチャに濡れてしまう。トイレシャワー室とベッドの間はただの板一枚かましただけで、しかも上は空いてるから、シャワーの水が跳ねてベッドが濡れる…
酷いと言えば酷いけど、さっきの大沢たかおの部屋よりは清潔感があるかな。こんなとこ、もう絶対泊まられへんわーと思うと、なんでも経験やと思い、決めた。

そして、翌日。
すでに風邪気味だった私はやっぱりこじらせてしまい、チョンキンで1人高熱に侵される事になるのだった。

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