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愚か21

 こんにちは ニフラムで死ぬゾンビこと補語です
 とにかく、J-POPにあるような光側の言葉が苦手です 見かけると条件反射レベルで苦しくなります ですが紛いなりにも仕事として絵をやっている以上、純粋に仕事の幅を狭める事になると思いますのでできるだけそういった言葉たちに関する感情に整理をつけていきたいです
 「好き」の反対は「無関心」であると言うように、「苦手である」ということはそれだけそういった言葉を意識しているということで、因果な事に私はJ-POPにありがちな文句を即興ですらすら言えます 「傷つくことが怖くて 他人の傷には無関心で そんな自分にサヨナラ」「僕たちは 何かを残すために生まれてきたんだ」「何があっても明日に進んでいく それが僕らの進む道」…ウワーッ!!!!!!!!!!!!一人で納得して前に進まないでほしいしその際に過去の自分に砂かけしないでほしいしそもそも明日とは何ですか 私にとって明日とはどんなに来てほしくなくとも来てしまう現実の象徴です 希望の象徴では断じてない その時点で話が通じる気がしない 怖い!
 ですが本当は彼らも明日が怖くて何もかもに臆病でそのような自分にだけ厳しい、そのような人たちが多いのでしょう 「傷つくことが怖くて 他人の傷には無関心で そんな自分にサヨナラ」のような言葉は、私の場合は進むことのできない自分が貶されているようで、「僕は前に進むけど、お前は?」と言われているような気がして(被害妄想)本当に苦しいのですが、きっとそういった言葉も、彼らが自分を鼓舞するために必要な言葉なのだろうと思います 彼らはそういった言葉を歌う事で、少なからず自分を救済しているのではないかと思います なので憎んでも仕方ないのだろうなと思います 彼らが自分なりの手法で自分を救済しているなら、私も私の手法で自分を救済するのみです 「どれだけ他人に受け入れられたか」という数が価値観を狂わせるだけで、きっとそこには「自己救済のための物が同じ病気の人間に刺さる」という現象があるのみなのだと思います

 久々に旧友と会いました 愛嬌と生きる力に満ちた彼は、少なくとも私にはそう見える彼は、それ故に「器用に生きる事」に対して大きなコンプレックスを抱えているようでした 私から見た彼は、器用に生きる事などよりずっと得難い物を持っているように見えるのに まあ私が同じ事を言われても嫌な気持ちになるだけでしょうから何とも言えませんが…悩んでいる他人に何かを言うのは難しい このコミュショウには更に難しい イーッ

少し誰かに心を許すと、すぐ「私はあの時死ぬべきだったんだ」というような事を言ってしまって自分が怖いです この希死念慮がなくなるまで私は誰にも心を開くべきでないのか まあ私の辞書では「心を開く」の意味は「角が立たず、更に相手が『本音だ』と感じる事のできる程度にはあけすけな事を言う」と書いてありますが…

寝ます おやすみなさい

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