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愚か12

 補語です 現在全てが猛烈に嫌になっています
 今週は精神の変調が激しく大変でした まず発熱し、それが治ったかと思えば被害妄想が激しくなり、作業をしている時以外ずっと脳内の仮想敵と言い争っている状態になっていました 今も周囲の人間の言動が間接的に自分を否定しているような気がしている 外から聞こえる話し声も怖い 完全にこちら側の異常であると自覚できているのでなんとか自主隔離が成功している状態ですが、ツライ!頓服を飲んで凌いでいます、次の通院まであと何日でしたっけ…
 自分に妄想じみた猜疑心が存在していることが恐ろしい 誰もが私にはわからない符牒を使って私を嘲っているのだとどこかで信じている 例えば自分の作品が「個性的だ」と言われると「強いて言えば個性があることを褒められないでもないけれどつまりはただの下手くそ」と受け取ってしまう 「優しい」と言われると「無害な事以外取り柄のない屑」と受け取ってしまう というか褒められる事自体「何が望みですか?」となってしまいがち 愛情を利害の一致でしか理解できていない賤しい人間すぎる こうなってしまったことの原体験は中学生の頃の褒められたら褒め返さないと陰口を叩く口さがない人たちと会話した記憶なのですが、もうデータが古すぎるのにも関わらず脳の奥底から消えない 私の否定感は少女の顔をしている これでも前にも書いた通りインターネットではそのようなことはないのですが… 愛、きちんと受け取りたすぎるな 愛をストレートに受け取ることのできる人間が結局一番スマートですし、送った愛をストレートに受け取られてむくれる人間はそれはそれでかなり歪んでいる わかっているはずなのに
 
 「儚い」だとか「透明感がある」だとかの形容詞が私の作品につくことはないのだろうなとぼんやり思います 私自身が汚い猜疑と妄執の塊なのできれいなものが描けない 星も花も私の脳を素通りしていく 例え理想の姿としてもそういったものを描くことは難しい 今にも消えそうな清らかな存在、私の理想の姿とは似て非なるものなのですよね 消えるなら存在ごと無かったことになるかありったけの作品を描くなどをして爆発してからがいいですし、清らかさよりかは物を思わぬ無機物への憧れの方が強い
 私の描く天使は無表情ですよね 意識して何の感情も出さないようにしています 出来ているかはわかりませんが…何というか、無表情で同じような個体の群体が好きなのですよね 無表情なまま何をしていても良い 共食いしていてもいい(実際描きました) そしてそのような彼らが何を考えているかと言えば、恐らく何も考えてはいません 自我の存在しない、システムの一部としての個 それが彼であり彼らです 多分 そういったものに憧れがあります

 あとは悲しみを描くのにも抵抗がある なぜか自分の悲しみは全て誰かを罪悪感で縛るための嘘であるという意識があり、悲しみを表明する事に抵抗があるのですよね 「お前に悲しむ資格などあるのか」とばかりに茶化して描いてしまったり茫然自失とした無表情で描いてしまいがち 漫画ではそういうシーンで顔映さながち
 ともあれ現実では悲しめる時に悲しんだ方がいい ということを最近理解しつつあります それだけでなく、無駄に感情をねじ伏せない方がいいのだろうな つらければつらくていい、かなしければかなしくていい、虚しければ虚しくていい 立ち止まって裏の心理を疑わなくて良いこともあるのでしょう 立ち止まって考えた方がいい時とそうでない時がそれぞれどのような時なのかはまだ私にはよくわかりませんが…

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