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愚か22

 老人ホームで処方される薬ばかり処方されている 補語です
 経歴的にはあまりにも好き勝手やっているとは思いますが、私は夢のない人間です 幼い頃から息をするように創作をしてきた私は当然創作関連のものを職業にする事を夢見ましたが、当時やっていた創作関連のアニメを見た周囲の「画業って難しいのだなあ…」という言葉をずっと聞いて、ただそれだけのことで画業への夢を自ら握り潰しました それが小学校低〜中学年の事です そのことを話した周囲から「そのような子供は珍しい」と言われ始めて自分が変わった人間である事に気づきました しかし、発達障害っ気故かただ私が屑であるのか、興味を持ったもの以外にはてんで体が動かず今に至ります
 基本的に、体が動いている方向と私の自意識が目指す方向が異なっているのです 私の自意識は安定志向でどこまでも自分の意思を捨てる方向に進み、それが「社会適応」と信じて疑いませんが、体(「体」としか言いようがない私の自意識の外の部分)がいつでもそれを全力で拒みます 興味のない授業ではあまりに耐え難い眠気が襲い、作業にもまるで集中できません マーク試験練習の時に、頭が正解を認識していて、さらにそれをマークした認識が確かにあるのにズレた選択肢をマークしていた時の絶望感は忘れるべくもありません 当たり前の事ができずして何の高知能なのか    まあ私の知能は大したことはありませんが
 ずっと言葉にすらできない「生きづらさ」があります そのために私は私を化け物だと思っていますし、その恐れが私に化け物のような言動を取らせます
 最悪な時の私は自分以外の全人類を「ステロタイプ上の『本職の方』の暴力性とステロタイプ上の京都人の陰湿さを併せ持つ化け物」だと思っていて、それに適応すべく彼らをトレースするのですが、実際の人類にそのような人間は限りなく少ないのですよね だからその想像上の化け物をトレースした私ばかりが実社会において真の化け物になってしまう
 おそらくそのような理不尽な「人間」観の元になったのは思春期に私の周囲にいた人間なのですが、「思春期の人間」という不確定性の塊のような存在に規則性を見出すことが彼らを理解する手掛かりであると思ってしまったのが私の間違いだったのでしょう 私は彼らをついぞ理解できないまま、しかし半端に彼らの価値観に取り込まれてコンプレックスを抱いたまま無益に数年を過ごしました
  しかしその不規則性を持ったまま人生のステージを登った彼らは大学入学の時点で過半数がマルチ商法や胡散臭いインフルエンサーに引っかかっていましたし、運良く社会人になった方々も話を聞く限りでは生きづらそうです インターネットの方がよく言うように、あの教室の中で満足に生きられた人間が必ずしも一生順風満帆に生きていけるわけではないのを知りました 他人の生きづらさを知って溜飲を下げるのはあまりにも下卑た趣味です ですがもう「あの価値観の中で報われたい」と、それだけを考えて生きなくていいのだとは思いました
 「この世界のどこかには私をそれなりに違和感なく受け入れてくれる世界がある」という事を「現世に一切希望のない人間が見る都合のいい空想?」と思わずにいられるのは進歩ではあります
 とは言え、対人恐怖が減っても私の、神経を病んでいた時に感じた善性に対する失望、専攻していたデザインを「富裕層の自意識だけ肥やしてやがては海洋生物の臓腑を詰まらせるだけのもの」と思ってしまった事などに起因する「誰かの役に立ちたい」という動機の喪失(殊更に誰かを害したいとは思っていませんが、上記の理由や私自身の善行適性、ひいてはコミュニケーション適性の無さにより進んで誰かを助けたいとはあまり思えません 人を助けたいと思わない事が私にできる最大限の人助けであるとすら思います)は消えることはありません デザインとは何であれ「この世を少し良くするもの」であると思います しかし私が生まれてこの方創作に求めているものは「私の自意識と私を耐えず侵犯する外界とを分つ、いわば境界線」であり、この動機を持ち続ける以上、私は「デザイナー」ではなく「作家」でしかあり得ないのだろうと思います
 なので私が考えるべき事は今まで通り、「社会から『私』をいかに守り抜くか」なのだと思います
 夢を追う力は元より私にはありません 私は私の、持続可能な現実を探ります

おわり

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