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愚か19

 何が君の幸せ 補語です
 今日は自律神経が崩壊し、ほぼ何もできませんでした 文字を書く事もできないので今回は短文集です
 最近は日がな一日何かから逃げるように絵を描き続けているのですが、それすらできなくなった時、それ以外には何も残っていない自分に気づく 「作ることこそ幸せ」とは聞く言葉ですが、私の中に深く根を張り、呼吸に等しくなったこれは果たして「幸せ」なのだろうか かといって、「これこそが『生』である」と言うには私は生を呪いすぎている 創作は酸素のように私を長らえさせ、また同時に蝕んでいる

 本当は誰かに消費される事も、誰かを消費する事も苦痛なのかもしれない 自分で作ったキャラクターを消費するのすら怖い 私はこの線を引くことによって、ひいてはそれによって作られた図像で、それを他者に観測させることによってあなたを規定する訳なのですが、それは暴力ではないでしょうか?他人のありもしない噂を言いふらすようなものではないのでしょうか? 彼らに「こうあってほしい」を押し付けてしまいそうになるたび怖くなる そんな私に彼らはものも言わずただ視線を向けている

 「私は誰の言葉も必要としていない」と私はしばしば言いますが、これは本当のことです 昔は私も誰かの言葉さえあれば救われると思っていましたが、言葉を乞うた相手に詭弁や妄言も含むありとあらゆる手段で抗弁してしまうのが止められなくなり、全員傷つけてしまってようやく私のこれは他人の言葉では治らないのだということがわかりました 私にとって、人生のアドバイスを聞くことははっきり言って苦痛です 私は誰の言葉も必要としていません 私はあなた方が思っているような「かわいい悩める若人」ではありません すみません

 全身が世界を拒んでいる 酸素が私を焼く

 うつくしいものを描きたいのにうつくしいものが描けない 空の名前も星の名前も知らない、知ろうと思えない うつくしいものに遠くから手を伸ばしているようなものや、上から汚泥をかけて「こんなもの、ただの思い上がりじゃないか」と自分に言い聞かせているようなものしか描けない 今では気分もそれなりに上を向いてきたのでそれなりにそれなりのものは描けますが何か嘘をついているような気がしてならない うつくしいものなど私の中には何一つなくて、汚いものをうつくしくするための力もない 自分を 自分を知りたい 別に現実逃避がしたいとかそういうことではないのです 私は本当は何を描くのかが知りたいだけ

 うつくしさも、かわいらしさも無邪気さも、全て他者によって消費されるもののようにしか見えなくて、そういったものを見るとうっすらと痛みを感じる わざわざ進んで食べやすいものになる必要はないよ、そう思う事自体がすでに何かしらの差別なのかもしれないけれど

 

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