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愚か8

こんにちは 何が好きかで自分を語ろうかな 語ろうかな 何が好きかで自分を
ブルーモーメント(夏の夕暮れ)、ワードサラダ、休日に嗅ぐ早朝の匂い、こちらの事を見ていない作品、寝る前の意識が消える一瞬、夜中に一人で絵を描いている時…
こちらのことを見ていない作品が基本的に好きです Twitterでもこちらに働きかけようという気持ちを感じない自己完結した方をつい追ってしまいます なのでそれらに影響を受けた私の作品も恐らくあなた方を見ていないことでしょう それが私なりのやさしさかもしれない 普通に臆病なだけかもしれない ヤマアラシのジレンマね…
 外交的な人間の作品を見ていると本当にこちらに語りかけているようで驚く事があります なんというか…雰囲気が…末広がりで… 創作で大成する方、精神を病んでしまう程に内向的な方と3大欲求などの始原のエネルギーに忠実でどこまでも外交的な方がいる気がする そして絵柄に関する某図の如くお互いをリスペクトしあっている…とイイナ~ 歴史はあるけれど正解はないのでね、創作…ちなみにデザインにも正解はないけれど間違いはあります イーッ

 絵への、大きな感情 感情、絵への大きな 確かに私の学生生活は基本的に人間関係の苦痛に満ち満ちていましたが「でも私はこのような下らない方々と違って絵が描けるのだ」と思う事でプライドの延命を図った事は、記憶の上では一度もないのです 基本的にクラスでは「絵を描く人」というより気持ちの悪いオタクという認識のされ方でしたし、小学校の時分より絵で賞を獲った事などもほぼなかった上に周囲からは絵を貶されることの方が多かったため(たまに褒められてもそのほぼ全てが褒め返し待ちで、まともに受け取る度に拗ねられたり陰口を叩かれたりする)、自分の絵は、少なくとも対外的な価値はゼロに等しいと思っていました 一度修学旅行のしおりの表紙に推薦された事がありますが、そういうものは気持ちの悪い上に絵の下手な私のようなものよりクラスメイトの覚えの良い方が描いた方が波風も立たないだろうと辞退した事すらあります 推薦してくださった方に申し訳がなかった 今でも中高生の方がアップロードした修学旅行のしおりの表紙を見ると精神が痛みます
 しかし絵が私を救わなかったかと言うとそういう訳でもありません むしろ意識すらできないほどに絶えず救われ続けていたのだと思います きっと酸素のようなもので、深層で絶えず救われているからこそそれを意識せずにいられたのでしょう 不快な目に遭ったとして、誰が「でも私は酸素が吸えるし」と思うでしょうか?
 私が、自分が絵に救われている事を紛いなりにも意識したのは苦痛に満ちた人間関係の果てに発病し、それの二次障害である抑うつになった時でしょう 真っ白なキャンバスの空白も、「自由に絵を描ける」と言う事も、線を引く事すら怖くなって、それでも自分にはそれしか支柱がないからとそこに自傷衝動を吐き出してでも絵にしがみつき、ひたすら「自由になりたい」と願っていたあの時がなければずっと私は楽しく酸素と戯れていたはずです 「あの時がなければ絵の尊さを知らなかった」などとは決して言う気はありません 病まなければ下り得ない謙遜の谷がある?ふざけないでください そこは間違いなく常人が降ってはいけないものです 傲慢も健常者の幸福の結果の一つで、私のように生まれつき原罪を負っているものでなければ苦痛を知らずに皆健やかに生きるべきなのですから…
 春だからなのか、変に思考がふわふわして気持ちが悪いです これが健康なのですか?これが健康なら私は健康になりたくないし、なりたいです 私って、どうすればいいですか?

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