失われた幸福が、寂しさの正体。
怯えていたのは、愛されなかった私。
愛されないことが、怖かった。
寂しさの扱い方がわからないから。
私にとって寂しさは、
他の感情よりも愛に近いのかもしれない。
愛されていなければ、
寂しさを知ることはできないから。
きっと私は、愛を知っている。
寂しさは、怯えるものではなく、
同じ分だけ愛された証。
失われた幸福が、寂しさの正体。
失った痛みが強すぎるだけ。
怖かったのは、痛みであって、
失うことでも、寂しさでもない。
寂しさの奥には、
いつだって懐かしむことができる幸福がある。
失ってなどいなかった。
失えるものでもなかった。
感情は、時間による劣化とは無縁。
永遠にとても近い。
私たちは、たぶん、
なにも失うことはできない。
奪われたりもしない。
無敵の愛だ。
寂しさを撒き散らすのではなく、
その裏側にある愛された幸福をもって、
誰かと向き合ってみたい。
もしも、私の中に愛があるなら、
私以外の全ての人にもあるはずだから。
あなたに触れたい。
あなたと語らいたい。
きっと、あなたも愛だから。
fumori
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