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仕事をしたくなかったのは、自分のためにお金を使えなかったから。

なぜ、仕事をしたくないのかが、
自分でもわからなかった。

お金は好きだし、
お金を稼げる自分も誇らしい。
それなりに仕事が出来たら、
調子に乗るほどハッピーだ。

なのに、なぜ、仕事が苦痛なのか?

給料は、苦労の代価。
なんて、令和の今、
それでいいのかい?

働きたくて、働いているのに、
なんでこんなに辛いの?

仕事のせい。
人間関係のせい。

そう思い込んで来たけれど、
基本、私は仕事ができない。
フォローしてもらってばかりだし、
それを当たり前のように
してくれる環境にある。

腹の立つ扱いはあるけれど、
差し引いたって、恵まれた環境だ。

仕事ができなくて惨めだけれど、
恵まれた現実だった。

それなのに、仕事が辛くて仕方がない。

仕事ができない自分と向き合いたくない。
それもある。

けれど、一番の理由は、
自分のために稼いだお金を使えないから。

生活にカツカツだった頃ならともかく、
多少の余裕があった時でさえ、
自分のためにお金を使うより、
老後の不安の方が強かった。

未来の不安のために、
今の幸福を犠牲にしてきた。

それが、当然だと思っていた。

だから、いつだって、
お金がなかったし、貧しかった。

本当は、その日の晩酌用の
ビールを買うお金くらいはあったのに。

贅沢はできなくても、
アイス一個、チロル一個のご褒美なら
出来たのに、自分を労うためのお金を
贅沢だと思っていた。

そりゃ、仕事する気もなくなるよね。
いつだって、節約する以外にないんだから。

なぜ、未来の不安を選んでいたのかといったら、
根本的に根付いた無価値観だと思う。

私には、お金を使う価値はない。
自分のためにお金を使うなんて、贅沢。

無意識だったけれど、
そう確信していた。
信じ込んでいた。

幸せになってはいけない。
そんな不幸を選ぶ価値観に支配されていた。

けれど、今、幸せでなかったら、
未来も幸せではない。

やっと気づいた。

不幸ではないのに
幸せとは思えないのは、
過去の私が、当時の自分の幸せを
蔑ろにしてきたから。
未来のために。

その未来にいるはずの私が不幸なのだから、
今を幸福に生きられない限り、
この先の人生に幸せは来ない。

今の私を幸せに出来ないのなら、
老後の私を幸せに出来るはずがない。

老後の不安を言い訳にした
無価値観のせいでお金が使えないなら、
その設定を変える。

私の命には、計り知れない価値がある。
それを宿す体にも、同等の価値がある。

私には、幸せになる価値がある。
仕事で稼いだお金を、
私の幸せのために使う価値がある。

自分のために、お金を使おう。
お金を使って、自分を幸せにしよう。

そのために、お金を稼ごう。
仕事をしよう。

私のしたい仕事ではなく、
求められる仕事をこなそう。

言われたことさえ出来ないけれど、
出来ないなりに、一生懸命やろう。

仕事ができないのだから、
真面目にやるしかないのだよ。

サボっていいのは、
仕事ができる人々なのだよ。

能力の差だから、どうしょうもない。
求められたことができるかどうかが、
時給なので、できないならそれなりよ。

不平不満の前に、
フォローしてもらうことに感謝して。
雇ってもらっていること。
働くことができる健康な体。

働きたくても、働けない。
そんな状況でないことは、幸せなこと。

与えられている幸せを享受して、
更に、自分を幸せにしてゆこう。

自分を幸せにするために、働こう。
稼いだお金を、自分のために使おう。

私には、それに値する価値がある。

fumori

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