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世界に溢れる情報は、私にとって毒になるものが多い。

やっと辻褄が合った。

価値観とか、社会通念に違和感を感じるのは、
世界がおかしいからではなく、
私が逆さまだったから。

私はずっと、逆さまの国を生きてきた。

立ち位置が、逆なんだよね。
だから、世界が逆さまに映るのよ。

世の中のルールとかもさ、
立ち位置が逆さまじゃなければ、
疑問にならないんだよね。

なぜ、そんなところに立っていたのかわからんけど、
そこしか立てないと思っていた。
世界が変わるのを、待つしかなかった。

まさか立ち位置を間違えているなんて思わないからさ、
何をやっても、おかしな結果になるわけよ。

世の中には、参考になる情報で溢れているけれど、
それらの殆どは、私とは違う立ち位置の人々のためのものでさ、
私が参考にしたら、逆の結果になるんだよね。

例えば、高いセルフイメージを持とう、とか。

多くの人は、本来のポテンシャルよりも
自分を低く見積りがちなんだよね。

なので、等身大の自分は、大抵、
自分が思うより大きい。

なので、高いセルフイメージでいるくらいでちょうどいい。

が、それが私を拗らせた。

そもそもセルフイメージの解釈を
間違えていたのだと思うのだけれど、
私は、調子のいい時の自分が、
本当の自分だと信じ込んでいた。

明るくて、元気で、よく笑う。
そういう人に憧れていたから。

けれど、当然、そうではいられない自分もいるし、
中には認めたくない私も、許されざる私もいる。

理想の私でいる為に、
それ以外の私でいる時は、
いつも不足している私を埋めなければならなくなった。

ポジティブな自己像を自分だと思い込み、
なりきる事で、不足感に苛まれることになった。

もちろん、調子がいい時の私だって、嘘ではない。
気分のいい時の等身大の私だ。

けれど、気分が滅入っている時の等身大は、
その時の私よりだいぶ小さい。

たぶん、それが器なのだと思う。

気分によって器のサイズが変わるなんて
思っていなかったけれど、
等身大の私は、感情の状態で変わるのだ。

なので、MAXの器のままで生きようとすると、
不足感に苛まれることになる。

なので、最小の器を自分にする。

私みたいなタイプは、
セルフイメージを高くしてはダメなのだ。

自分の中で、最小の器で生きてゆく。

そうすれば、三つの効能が得られまする。

1)不足感に苛まれることがない

最小なので、これ以上減ることはないものね。

2)周囲へのギフト

気分がよくても、器のサイズは変わらないので、
溢れた分は、周囲にお裾分けできる。

3)謙虚

調子に乗っても、驕らずにいられる。
今はたまたまいい気分だけれど、
器は小さいままなので。

どうやったら謙虚でいられるのか?

10年以上のテーマだったけれど、
たぶん、こういうことなのではないかしら。

最小の器で生きてゆく。

それは、認めたくないし、許したくないし、
見るに耐えないし、愛せないし、
出来ることならいなくなって欲しい自分。

ズルくて、卑怯で、弱くて、怖がりで、強がりで、
好き嫌いが激しくて、わがままで、自己中で、
甘えていて、劣等感が強くて、自信がなくて、
自分に価値があるとは思えなくて、
ちょっとしたことで、すぐに怯えてしまう。

そこが、私の立ち位置だった。

そこ以外では、生きられない。
どれほど憧れても、羨ましくても、
私には、この場所しかなかった。

私ではない誰かの立ち位置を生きていた。

きっと私は、その人のことを大好きだった。
その人みたいになりたかったんだろうな。

そのために、自分を捨てて、成り切って生きてきた。

幸せになりたかったはずなのに、
それが不幸を招き入れた。

世界に溢れる情報は、私にとっては毒になるものが多い。

最小の器なら、毒を浴びても、最小限の傷で済む。

気分のいい時の等身大の私は、器よりだいぶ大きいから。
余裕を持って、生きられるんじゃないかな。

この世界は私にとって逆さまだ。
なので、最小限の私でサバイブしようと思う。

fumori

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