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自分の本性が怖かったから、人が怖かったみたい。

不安とは、望む未来があるから生まれるらしい。

病気や怪我をしたらどうしよう
と言う不安は、元気に生きていたい望みの裏側。
なら、不安でいることは、全く悪くない。

さて、今の私の不安は、
どんな未来を望んでいるからなのだろう?

お金持ちで、仕事がバリバリできて、人望が厚くて…
なんて現実とかけ離れた理想を思い浮かべて、浮かれていた。
なんだ、不安ってよき未来の味方じゃん。

が、私の場合は、味方ではなく、逃避の言い訳だった。

私の理想はフェイクだから。

もちろん、叶うものなら狂喜乱舞するくらい嬉しい。
そのための努力を一切しなくていいのなら、ね。

残念なことに、
働きたくない、人付き合いしたくない
が、私の本音だった。


仕事ができない。人間関係が下手すぎる。人が怖い。

全部本当のことだけれど、
そもそもやりたくないと言う望みがあるから、
言い訳のためにそうなっていった、
キャラを寄せていったのかもしれない。
全部ではなくとも。

働きたくないとか、人付き合いしたくないとか
言えなかったんだよね。

思ってはいても、
そうしてはならないと言う思い込みが強すぎて、
認めることができなかった。

だから、余計にそうならないよう
真逆のキャラを演じていた。

真面目で、誠実で、誰に対しても公平で、
約束を守る人であろうとした。

それは、
不真面目で、不誠実で、好き嫌いが激しくて、
ルーズな私が本性だと、自覚しているということ。

認めたくないから、いなかった事にしようとした。

人間性なんて、周囲との比較でしかないのに、
劣っている自分を許す事ができず、
かと言って変えようとしても変えられず、
人前では自分を偽るしかなくなった。

そんな葛藤が心の中にあったから、
辛いし、不安だし、怖かったのだと思う。


私はずっと人が怖かった。
けれど、恐れていたのは、他人ではなく私だった。

私は、自分が怖かった。

社会的ではない劣悪な本性。
それを否定し、認めず、消そうとする意志。

正解のない、絶え間ない諍いが、
現実を恐ろしいものと見做す
不安の源だったのかもしれない。

私が望んでいたのは、働かないことではなく、
本性を偽ることなくいられる環境。

チームで働く限り、そんな職場はないし、
長年、演じ続ける事もできないから、
働かないことになっていただけかも。

嫌われないため、とは言え、
みんなと仲良くすることは、良い事だと思っていた。

けれど、仲良くあらねばならないということは、
相手が私を嫌う自由と、
私が相手を嫌う自由を奪うことだった。

嫌われたくないという望みは、
相手の自由を奪い、支配しようとすることだった。

本性を偽るということは、とても危険。
思考で本性を縛り、自分も他人も支配しようする。
無自覚に、自分の世界観を強要する。

本性の私は、確かにダメ人間だけれど、
他者の自由を犯すようなことはしない。

能力的にどれだけ劣っていようと、
自由を許容できる資質には代えられない。

社会的でない私は、自由を尊重する私だった。
やりすぎれば犯罪者だけれど、適度にね。

内心の自由を誓いながら、
全然、自由じゃなかった。
感情的に、感覚的に、
感じた事を一切否定しなくていい。

頭の中にいる見張りの声に、
怯えなくていいんだ。やっと。

好きか嫌いか、選んでゆこう。
良い面だけを見ようとしなくていい。

いい様に無理に解釈せず、
ちゃんと嫌いになれるよう、相手を知ろう。

それが、自分を知ることなのだと思うから。

fumori


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