命より価値があるもの。
私という自我は、時と共に変化し、
成長する自己像を信じている。
なので、
よりよい未来を選択するために、
過去のデータが必要。
情報は、あればあるほどよい。
ルールでも、フェイクニュースでも、
なんでもいい。
知ったことは全部、記憶しておきたいし、
忘れたい悲しい記憶なんかは、
悲しければ悲しいほど、
辛ければ辛いほど、
絶対に忘れさせてはくれない。
二度と同じ目に遭わないよう
類似した未来を回避するために
重要度の高い記憶とされている。たぶん。
そのせいでトラウマに苛まれようとも、
所詮は仮想の痛み。
同じ危険を味わうより、害はない。
理屈優先の自我は、そう判断しているはず。
それによって、心が蝕まれようと、
情報空間は、仮想空間。
命に別状はないと思ってる。
まさか、自分が認識している現実も、
解釈によって塗り替えられ、
ほぼ仮想で補われているなんて、
思っても見なかっただろう。
自我にとって、
現実は一つしかないリアル。
生存率の高い未来を選択し続ける
命がけのサバイバル。
知識、経験、記憶、過去の全てが、命綱。
過去の改竄は、あるまじきこと。
当然、手放すことも許さない。
なら、命としての私はどうだろう?
命がなんなのかは、よくわからないけれど、
自我と違って、人の理に囚われないもの。
自我からすると、
私の命は、私個人のもの。
けれど、
自我の内側にある命を、
私のものとは思えない。
意思とは関係なく、
生きるための機能は働いている。
命は、体に由来する。
なら、地球のものかもしれない。
地球のものなら、地球にとって
必要だから生かされているのかもしれない。
私の意思とは関係なく与えられるなら、
地球のニーズによって生かされていたりして。
もっと言えば、生きることを、
地球にオーダーされている、とか?
私の命にそんな価値があるとは思えないけれど、
この命が私のものでないのなら、
計り知れない価値があってもおかしくはない。
なら、その計り知れない価値ってなんだろう?
人には限りがあるので、今ある命の価値は高い。
けれど、
命を生み出しているのが地球なら、
無制限に生み出せるわけで、
私が思う程の価値はないだろう。
地球にとっての価値って、命じゃなく、
命ある今、今生きている命、
今生きている私、なのではないだろうか?
命に価値を見出し、
命を与える地球に価値を見出している今の私。
そこに至るまでには、恨みつらみもあった。
理不尽だと当たり尽くしもした。
今後、そうならないとも限らない。
けれど、少なくとも今は、
命を生み出している地球と、
地球に生きる命の一つである私に感謝している。
これまでの過去によって、今の私は仕上がっている。
今、存在している私は、全ての過去の総決算。
集約された過去そのもの。
過去の全てを記憶しておかなくても、
今、ここにいる私そのものが、その結果。
バージョンアップされつづける最新の私。
人生が時系列のフィルムでできているなら、
そのうちの一コマが今、なのではなくて、
これまでの全てのコマが重なった状態。
コマじゃなく、レイヤー。
全部の過去から作られ、
リメイクされ続けているのが、今の私。
地球が価値を見出しているのは、
現時点での最新バージョンである今の私。
なら、過去なんていらなくない?
ただの情報に過ぎない過去なんて、
持っていたって意味なくない?
未来の為に、
悲しい記憶を持ち続けていようと、
それを手放していようと、
今の私の選択に影響あるのかな?
むしろ、ビビり過ぎて、
望まない選択しそうじゃない?
今の私が、集約された過去なら、
過去なんていらないのかもしれない。
今の私そのものが、
全ての過去から成る作品だから。
今の私さえいれば、
過去を覚えておかなくてもいいのかもしれない。
忘れてもいいのかもしれない。
今に許されてもいいのかもしれない。
全ての過去を重ね合わせてできた今の私を、
命は、歓んでくれているのだろうか。
fumori
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