昨日選んだことをする今日を過ごしてみようと思う。
今日やる事は、今日決める。
そんな自由を求めてきてきた。
それが、自由に生きることだと思っていた。
けれど、
今日決めて、今日するとなると、
今日できることしか選べなくなる。
自分の力量の範囲の今日を生き、
昨日とほぼ同じ力量の明日を生きてゆく。
高い目標を立てれば、
苦労するのは目に見えているし、
努力したところで報われるとは限らない。
無理を続ければ、諦めることを覚える。
明日やればいいことなら、
今日やらなくてもいいのだから。
自由な今を生きようとすると、
未来は拡大しない。
昨日とさして変わらない。
もしくは、縮小する。
更に、誘惑に打ち勝つ忍耐が必要。
選択の自由って、
なんてリスキーな苦行なのだろう。
マインド強者のギャンブラーでもなければ、
充実感なんか得られないよ。
小心者で、依存心の強い私には向かない。
なので、今日やる事は、
昨日の私が選んでおくことにした。
目覚めた瞬間から、
今日することは決まっている。
決まりきった一日を生きる。
なんて、不自由な人生だ。
そう思っていたけれど、
スケジュールを詰め込まなければ、
昨日選んだことをするだけでいい。
あとの時間は、自由に過ごせる。
選択に迷う時間はなくなり、
やることをやるから、充実感は得られるし、
好きなことをして自分を甘やかしても
後ろめたくなんかない。
寧ろ、ナイスな人生じゃない?
どういうこと??
選択において、自由と制限は、セットだ。
片方だけを選ぶことはできない。
先に自由を得て、後に制限を受けるか、
先に制限をし、後に自由を得るか。
「今日やることを、今日決める」という
選択の自由がある今日を選べば、未来は制限される。
選択に迷うストレスに晒され、
過剰な努力に挫折し、自分を甘やかし、
自分を愛せない未来へ繋がるリスクもある。
「昨日選んたことをするための一日」
そんな用意された今日を選べば、未来は拡大する。
選択を制限することで、逆に未来が拡大する。
今日決めようとしていたから、
迷った挙句、低きに流れていた。
なので、今日は、
昨日選んだことをする日にする。
脚本通りにやって、あとは好きに過ごすのだ。
うん。なんて気楽なのだろう。
私が苦しんでいたのは、
それだけ自由を与えられていたからかもしれない。
fumori
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?