自分に対する不足感が、愛を知るためのパーツなのかもしれない。

不完全だから、完璧。

私たち人間は、
神の精神を内包しながら、
神にはりきれない。

肉体という限界と
五感という個性によって、
全てにはなりきれない。

理解はしている。
けれど、腑に落ちていなかった。

どうしても、埋めようとしてしまう。
無意識に。

いつまでたっても、
自分でいることに満足できない。

不足感を埋めることで、
安心したいと願っている。

たぶん、それが私の本能的な欲求。

私自身の奥底にある願いなのだろう。
埋められないと知りながら、
補わずにはいられない。

不完全な自分でいることの不安に
耐えられない。

安心したい。自分でいることに。
自分自身に。
生きていることに。

私が手に入れていない何ががあれば、
きっと安心して生きられる。
生きる不安、自分であることの不満を
解消できるはずだから。

なんの根拠もない身勝手な願望が、
私の今ある人生を作ってきた。

だから、何も成せなかったのだと思う。
不足を、不満を補うために人生を使ってきたから。

埋められない穴を、なんとかしようとすることに必死で、
穴以外の広大な足場を見向きもしなかった。

どんな種だって、植えられた。
花を育てる道具だって、揃っている。
野菜だって、家だって、街だって作れる。

やりたいことはなんでもできる。
全部、あった。
望むままに用意されていた。
鍬も、シャベルも、トラクターだってある。
井戸も、木材も、コンクリートもある。
私の世界を、望むままに築くことができる。

使いきれないほど広大な世界が広がっている。

なのに、その地面にあいた小さな穴に囚われている。

そんな穴、放っておいたって、
使いきれないほど土地はあるのに、
空いている穴を埋めないと、
始められないと思っている。

その穴は、埋めても埋まらないのに。
積んでゆく側から崩される石積みみたいなもの。
なんでも入る四次元ポケットのようなもの。

人である限り、必要なもの。
完璧では、得られないから、命に与えられるもの。

不足なのではなく、
不完全だからこそ、知ることができるもの。

それを知るために、命を与えられたのかもしれない。

埋められない不完全さは、
誰かに与えられる歓びを知るためのもの。

自分一人では得られない感動を体感するためのもの。

許されていることに気づくためのもの。

与えられることに安心し、
自分も与えていることを知る。

誰かのために生きなくていい。
人のためになるよう生きなくてもいい。

自己犠牲の先にある幸せは、周囲を不幸にする。

大切な人を幸せにしたいなら、
自分の幸せに妥協しないこと。

誰のために、自分を犠牲にしないこと。
誰かのために、やりたくもない大嫌いなことをしないこと。

やらなければならないと思うのは、
自分への愛が足りないのかもしれない。

愛されたいから、
愛してくれそうな人を幸せにしようとしてしまう。
自分の不幸と引き換えに、愛を求めてしまう。

穴ばかり見ているから、使いきれない資産に気づかない。
愛されたいと願うから、愛されていることに気づかない。
愛されようとするから、愛さなければならないと思う。

自分が埋められない穴は、誰かに愛してもらうためにある。
必要だから、不完全なんじゃないかな。

私ではどうにもならない穴を、
なんの努力もせず、埋められる人がいる。
魔法みたいに、一瞬で、無意識に。

当たり前にできるから、見返りなんて求めない。

愛って、当たり前のことなんじゃないのかな。

私にはないけれど、相手にとっては当たり前で、
苦労とも思わず、してあげた感すらないもの。

だとしたら、私だって、与えてきたはずなんだよね。

見返りが欲しくて、
周囲の人を愛さなければと思ってきたけれど、
私の存在そのものが、誰かの穴を埋めている。

それに対して、感謝や見返りを求めたりしない。
私にとっては、ナチュラルなことだから。


私が埋めようとしていた穴は、なんだったのだろうか?

愛を知るため。
与えられる歓びを知るため。
与えている自分に気づくため。

私ではなし得ないことを
私以外の誰かなら簡単に出来ること。

それは、与えられる人にならなくても、
自分を生きているだけで、
与え続けている可能性があるということ。

与えようと思えば、無理が出る。
いい人でいたいけれど、破綻したように。

自分以外になろうとすると、歪んでしまう。

たぶん、自分として生きているだけで、いいのかもしれない。

無理なく、ナチュラルに、
できる範囲で自分を幸せにしようと思っている。

そんなお気楽な状態でいられたら、
誰かの穴なんて簡単に埋められるだろう。

穴を穴とも思わないから。
本人はないと思っていても、
私はそれを気にしていないから。

なくてもいいと、潤沢な穴以外の世界を見ているから。

落ちるほど危険な穴じゃない。
つま先が引っかかるくらいのものだもの。
誰も気にしない。

気にする人がいるとすれば、
相手の中にも同じ穴があるから。

自分の穴を気にしなければ、
穴はあってもいいものになる。

穴があるから、与えられ、与えることができる。

その穴こそが、関係性を繋いでいる。
穴がなければ、人は誰とも繋がれない。
つながる必要がないから。
完璧だから。
全部あるから。

本当の私たちは、完全な愛だから。

誰かに与えようなんて思わなくても、
生きているだけで、与え続けているのかもしれない。

そういう世界で生きてゆきたい。

自分の幸せを生きることが、
誰かのためになるような自由で平和な世界。

誰かの幸せのために、自分を搾取されることない。
愛されることを期待して、自分を犠牲にすることない。

それでいて、誰かの世界を侵したりせず、
自分とは違う相手の世界を尊重できたら、
言う事なしだ。

さて、どうしたらそんな世界線に行けるだろう。

どうしたら、その世界に相応しい愛でいられるだろう。

とりあえず、今日一日を、
プレッシャーなく生きてみようかな。

fumori

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