生きる事は、とてつもなくシンプルなのに、シンプルな生き方に辿り着くまでが、とてつもなく複雑。

目指す方に目を向ける。
心のベクトルを変える。

そのための前提を考えていたら、
能天気ピーポーみたいなノリになってしまった。

そんなスーパーポジティブな設定を語らせて欲しい。


私とは、幸です。

幸福な存在です。
幸福のために存在しています。

幸せな存在なのに、今が不幸だとしたら、
私の世界が間違っているのかもしれません。

現実は答え。過去からのギフト。

出口に文句を言っても、
同じ運命が予約されるだけですよ。

すべての思いは、命と共に巡っています。

人生とは、選択の連続ですが、
選択するのは、どちらかでしかありません。

感謝するか。リトライするか。

生きる事は、とてつもなくシンプルでした。

シンプルな生き方にたどり着く方法が、
とてつもなく複雑だっただけ。

言い訳が見つからないから、悩むのです。
言い訳に納得できないから、迷うのです。

いい事なら感謝して、
嫌な事ならリトライする。それだけ。

先送りなんて選択肢は、実在しないのです。

逃げたところで、想いは巡るものだから。
どのみち、未来で経験する事ですし。
過去の自分を救うチャンスですからね。

苦しみは、偽りです。
歪められた想いです。

存在こそが、幸福です。
私とは、幸です。


ここに至るまでの過程は、省きます。
想いに重量がありすぎて、書ききれないから。

ただ、これまでの悲しみは、
私の幸せが人を不幸せにしてしまうことへの
罪悪感だった可能性に気づいて、ホッとしました。

言葉や感情の裏にある想いを、
私は汲み取ることが出来なかった。

あの人が本当に伝えたかった想いは伝わらず、
表面的な言葉と感情に傷つき続けた。

社会では通用しない。
人に迷惑をかける。

あの人が伝えたかったのは、社会の中で、
私が幸せに生きるための方法だったはずなのに、
私の存在があの人を不幸にしていると思った。

そんな自分に失望したのは、
あの人にとって、幸せな存在でいたかったから。
あの人に、幸せでいてもらいたかったから。
私が、幸せにしたかったみたいなのです。

私の根底には、相手の幸福を願う想いがあった。

その可能性に至ったら、
あの人も私の幸せを願っていたのかもしれないと
思えるようになったのです。

本当のところは、わからないけれど。

怒りも悲しみも、すれ違う本意にあるなら、
どれもが相手を想っての不幸なのかな。

物語は、悲しくて、寂しくて、とても温かい。

fumori

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