「失敗しても大丈夫」と思えるようになった理由。

思いがけないことが、身に起きた。
「失敗しても、私なら大丈夫」だってさ。

なんで、そんな少年漫画の主人公みたいな台詞が出て来たのだろう?

あまりの自己肯定感の高さに、違和感しかない。元が低いから、自己肯定感を高める30日間チャレンジをしているのですが、もしかして、5日目にしてこれほどの効果が??

なんて広告サイトみたいなフレーズを言ってみたくなるほど、自分とのギャップに戸惑うばかりでしたが、思い返してみれば、そんなキャラもおりました。



幼い頃の私は、やりたいことは人目を気にせず、やっちゃうタイプだったし、面倒なことは、逃げまくって、やらない。案外、スパッとした、わかりやすい子供だった。

大人になるにつれ、社会のルールとか、なりたい自分とか、周囲の評価とかに縛られて、やらなければならないことが出来た。

やりたいことと、やらないことと、やらなければならないこと。

私の中には、決めたことをやる、という選択肢はなかったように思う。高すぎる目標に届かず、自尊心は削られ、プライドばかりが高くなって、諦めてばかりの自分に嫌気がさし、自己否定に沈んでいた。
気づけば決断そのものが、選択肢から消えていた。

決めることは、挫折することになっていた。


決断のない3択人生。その牙城が崩れ始めた。

しなければならないこと、なんてなかった。保身のための、言い訳だった。

怒られるのが怖いから、悪く言われるのが嫌だから、やらなければ相手の機嫌が悪くなるから、やることを選んでいただけ。
それを、押し付けられたルールや誰かのせいにして、自分を庇っていた。

私の「しなければならないこと」は、すれば相手が喜ぶことだった。相手の機嫌に責任を負うことなんて、無理なのにね。

負える範囲の責任を負い、誠意を示す。それ以上は、及ばない。そこまでの器だと、思い知る。

相手の幸せを自分の喜びにできる人間に憧れていたんだろうな。残念ながら、等身大の私はそんなご立派な人間ではないのですよ。

憧れているのに、なれなくても構わないとか、心にもない開き直りはしない。いつかなれるもん。と、拗ねて、未練タラタラなら、そのまんまでいい。

望む価値観にそぐわない自分を、否定しない。
自己肯定感を高めるための心構え。その一。


しなきゃならないことは、「したくないけどする」こと。なら、「したくないからしない」を選んだっていい。

すれば、トラブルは回避されるだろう。しなければ、責任を取らされるかもしれない。やったのに、トラブルに巻き込まれることもある。

選ぶのは、相手の機嫌ではなく、現実。
トラブルを回避するか、責任を取るか。

問われていたのは、私の感情?

私にとって、どちらが快いのか。
選択の先にある現実で得られる感情。現実じゃなくて、感情。

それが、「しなければならないこと」を「しない」に変える魔法。


結局、いつもそうなんだよね。
どんなに苦しくても、辛くても、自我は理想を演じ続ける。

理想の裏に隠された私の弱さを慮って、本音を偽り、現実を捻じ曲げてでも、守ろうとする。過保護というより、溺愛中。

そんな甘い優しさ守られて、理不尽な現実を生きてきた。
多分、これからも、自我は私を守ろうとするし、私も甘えて楽に生きようとするのだろう。自分を守るために、現実と敵対して。

守られているから、現実が辛いんだけどね。
立派な自分なら、それに見合った現実を認知する。等身大の自分と理想とのギャップがあれば、現実のハードルは上がる。

思い込んでいる「自分らしさ」に相応しい現実を認知する。

現実が辛いのは、私が自分を高く見積もっているから。自我の助けを借りて、理想を演じているから。

自我は私を守るためだったら、手段を選ばない。
等身大の自分で生きるなら、弱さに見合った優しい現実になる。

だから、失敗しても、大丈夫なんだ。
自我でも、等身大の自分でも、どっちの人生でも安全だから。

ハードルの高い自我の理想を生きることが難しいから、ドロップアウトしているけれど、当面の身の安全は確保されている。社会的な成功なり、人並みの生活は犠牲になったけれど、死ぬことはない。

多分、これからは、等身大の自分で生きてゆくことになるだろう。
弱い分、リスクも高くなるけれど、いざとなったら、自我が回避する。

私の思考は、我が身可愛さで出来ている。


したいことをやって、失敗したなら、諦めた時の後悔より、やりたいことをやれた満足感の方が強いということかもしれない。

したいことを諦めるのは、失敗した時の後悔の方が強いということ。

したくないことをするのは、トラブルを回避した方が安全だから。

したくないからしないのは、負える責任の範囲内だから。

選択した結果は、どれも最善です。
どれだけ配慮しても、保身最優先の私が、導き出した選択肢なので、身の安全は保証されています。

なので、自分のことは、気にせず、迷惑を最小限に食い止めましょう。自我がなくならない限り、やることなすこと、ほぼ迷惑を掛けてしまうので、全力で意識を相手に振り切りましょう。

お互いに気持ちよく、和やかでいられるように。
私に欠けていたのは、信頼感だったのかもしれない。



それにしても、天敵と思ってきた自我さえ信じられる日が来るとは…

うん。やっぱり自己肯定感、上がってるのかもしれないわ。

 fumori 




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