今日が不幸だとしても、私は未来に愛されている。
仕事ができるって、幸せなことだった。
歩ける事も、ご飯を食べられる事も、
やりたくない事でもやれる事も。
生きていること。
何かできること。
出来なくても、何かを感じられる事。
生きている事が、幸せ。
命は、可能性の塊。
私は、今という可能性を体感している。
可能性の体感こそが、幸せ。
不幸でも、不幸を体感できることは、幸せなこと。
生きている間の全ては、幸せ。
なので、幸せになろうとしなくていい。
幸せになるために、必要な条件はない。
今には可能性しかなく、
生きている事が幸せ。
思い通りにならないから不幸だと感じているのは、自我。
自我の幸せは、自分以外になること。
今はない夢や目標を叶えないと、幸せになれない。
自我には、良い現実と嫌な現実がある。
区別があるから、不幸になるのに、
不幸だから幸せになろうとする。
幸せは、可能性を生きる事。
体感する事。生きている事。
何しなくても、私が生きている事が幸せ。
夢や希望はあっていい。
それに向かって進むのもいい。
けれど、しなくたって別にいい。
今を感じ続ける事だって、可能性の体験だから。
生きていることは、すごいこと。
不幸せでいたい自我は、そうさせておいてあげたらいい。
不幸せを味わうことで、生きる幸せ以上に嬉しい体感ができるのだから。
自我は、感情にレバッジをかけて、ドラマチックに生きていたいのだ。そういうキャラなのだ。
私は、もう不幸せに疲れてしまった。
ドラマを生きる気力もないよ。
幸不幸にリソースを割けない。
生きている今日の私は、未来に愛されている。
自我が求める幸せが得られなくても、
愛されているから不幸じゃないんだよね。
愛されるために、現実を、自分を区別しているけれど、
自分を区別することで、幸不幸を生み出していたんだよね。
理想通りの自分なら、合格。
不合格な自分には居場所がない。
だから、不幸せ。
私は、自分に嫌われる事が一番怖かったんだ。
自分に認められる事が幸せで、
自分に認められない事が不幸だった。
自我の幸せは、未来に愛される事で意味がなくなってしまう。
未来の私に愛してもらおう。
今日、命が尽きたら、
未来の私は、存在できなくなる。
空想のまま終わってしまう。
今日を生きる事が、未来の私の最大の願い。
なら、
今日を生きている私こそ、
未来から最高に愛されているはず。
自我の生み出す幸不幸に惑わされず、
可能性を生きる事ができる今日の私の幸せを感じていたい。
fumori
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