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幸福感と満足感と生き辛さについて。

生き辛さを感じるのは、
私が悪い訳でも、無能だからでもなかった。

単に、権力がなく、マイノリティだから。

世の中は、権力者と多数派に合わせて作られている。
どちらでもなければ、生き辛いに決まってる。


私にとっての現実は、
ほぼ理不尽で不合理なものだった。

未だにそうなのだけれど、
生き辛さの原因を「権力と数」ということにしたら
少しは気が楽になった。

生き辛さ(不幸)が、
権力がない + マイノリティなこと

だとしたら、

生き易さ(幸福)とは、
権力がある + メジャー化

なので、幸せを求めて、
わかりやすくお金(権力)と人気(メジャー化)
を得ようとしてきた。

けれども、
結果は伴わないし、
不幸なままだし、
社会に対する不満は募り、
自分を嫌いになるばかりだった。

幸せになろうとして不幸でいるくらいなら、
権力がなく、マイナーな自分でいい。

社会からリコメンドされる幸せではなく、
お金も人気もない不幸せな人生に
価値を見出すことができれば、無敵。

幸せになろうとすると、
欲は肥大化するし、渇望も生まれるし、
なにより多数派ではない自分を否定し続けることになる。

世の中の幸せの基準に
人生を合わせるのではなく、
社会的でない自分で生きること。

私の幸せの根底は、そこ。

私が欲しかったのは、
生き易さではなく、
生き辛い自分を肯定する理由。

幸せのために、何かをする、変化する前に、
マイナーな個性を、否定しないでいられる
考え方だったのかもしれない。

多数派ではない私自身のマイナーな個性を、
殺さず生かすことが、幸せの根底であること。

それを知るために、不幸であり続けたのかな。


私のマイナーな個性が、
なんなのかわからないし、
役に立つのかさえ不明だし、
未だに、お金も人気も欲しいです。

ただ、望んで努力しても、
お金も人気も得られていないのなら、
知恵を絞って工夫することを
求められているのかもしれない。

条件なら揃ってる。
あとは、今あるものでやれるはず?

もしかしたら、私の幸せは、
自分自身の能力を使って生きることなのかな。

自我としてはごめん被りたい生き方だけれど、
お金や人気といった虚像の武装を解いて、
丸裸で、サバイバルしたいのかもしれない。

責任が取れる程度にやりたいことをやる、かな。

なるべく人に迷惑をかけないようにすれば、
失敗しても文句を言われる筋合いはないし、
人目を気にせず、好きなことができる。


生きるためには、
お金も人気も必要だし、
幸せになるためには、
マイナーな自分で生きることが必要。

肉体的な満足感と、精神的な幸福感。

どっちも必要ってことでした。
ありきたりだけれど。

fumori


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