みんなが知っている自由を、言葉を尽くして表現しようとしていたらしい。

言葉にしたかった私の自由は
とうの昔に河井寛次郎が言葉にしていた。

肩の力が抜けた。

みんな知っているものを
私は言葉を尽くして表現しようとしていた。

民芸運動に関しては、
若いことに感銘を受けていたはずなのに
なぜ今なのだろう。不思議。

同じ言葉でも理解できる範囲があるのかな。
時々の今で受け取り方が変わってくる。

これまでの経験があったから受け取れたのなら
経験から得た情報が良質ではなかったのかな。
良質を見出せなかったというか。

正しさとか、好き嫌いで、読む本を選んでいたけれど、
しのごのいわず、名著を読んでおいたらよかった。

昨日、過去の一切を問わないことにしよう。
なんて決めたにも関わらず、
あっさり後悔している今日。

自らの本質を語る言葉に出会いたい。

私には辿り着けない境地に至った人の言葉に
心が震える。

共鳴するのは、命なのかもしれない。
そんな気がしている。

 fumori 

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