これからの現実は、偽善者をやめる練習。

やりたいことがたくさんあって
とりあえずやってみて
失敗してもヘコタレず
こうすればできるかもと考えて
再チャレンジする。

そんな人間になりたかった。

けれど、今の私には、
やりたいことさえない。

気楽に生きていたいだけ。
なら、それで生きてみる?

そんな惰性的な生き方に、
眉を顰める私のいるけれど、
動けないよりはマシだもの。


自己肯定感は高くないけれど、
自己否定はない。なら、上出来。

我が身が可愛い自己保身の高さは、
誇れるものではないけれど、
裏切ることはない。絶対に。

信じられる自分が、善人でないことは、
残念ではあるけれど、大切なのは信頼感。
裏切られることはないという安心感。

それに、誇らしくない自分を信じられる
のは、自尊心がそこそこあるからだと
思うんだよね。

よし。今の私で生きてみよう。

なんて勇ましいこと言いつつ、
いい人ぶってしまうんだろうな。

面白くないのに笑って、
やりたくもないのにやって…

今日からの現実は、それをやめる練習。

愛のある変わり者キャラとして、
受け入れられたら大成功。

あ。まだだ。
キャラは私が設定するものじゃない。
相手が思うことだった。

それに、
受け入れられなくても、呆れられても、
最悪、嫌われたって、成功なのかも。
自分を偽らずに生きられたなら。

意識って、根深い。
ま、気づいたなら、よしってことで。


愛のあるキャラで思い出したけれど、
そう言えば、愛のある人になりたいって、
言ってた時期があったんだよね。

当時はまだ限定した愛情だったけれど、
心の温かさを感じられる人に出会って、
憧れた。

今では意味合いも変わったけれど、
温かさが伝わることは、同じ。

誰にも、自分にさえ
愛情が向けられなくても、
今、存在しているなら、愛はある。

肯定されていなければ、
今には存在できないから。たぶん。

自分で肯定できない人は、
誰かの命を肯定しているし、
誰かに肯定されているから、
命が続いている。

気づかなくても、そうと思えなくても、
肯定されているから生きている。

この世界に生きている人は、
存在を肯定された命です。

それが、愛だと思うんだ。
今日のところは。

やりたいことがなくても、
自分を肯定できなくても、
命がここにあるのなら、
存在は肯定されています。
たぶん。

その命には、愛が宿っています。
たぶん。

あると感じられなくても、
命とともにあるものなので、
生きている限り、愛はあります。
たぶん。

今を、命を、肯定し合うこと。
肯定された状態の今。それが愛。
たぶん。

なら、現実こそ愛ってことになるけれど、
どうなんだろうね?

もしも、愛が現実だとしたら、
全てを肯定することは難しい。

なので、現実は否定せず、
愛を見定めていようと思う。

今ある世界は、私の価値観で出来ている。
どれだけ望む愛を表現できるだろう。

私の愛は、何を望んでいるのだろう?

 fumori 


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