時代は必ず幸せに向かって発展してゆく。

お金は、私を幸せにするためにある。

なら、私を幸せにするために、お金を使おう。

…で?
私の幸せって??

健康とか、生活とか、
とりあえず明日の命に支障がない状態で、
求める幸福ってなんだろう?

本音を知る事、かな。

私が何をしたくて、したくないのか。
何が好きで、嫌いなのかがわかること。

人生に悩んでいたのは、
圧倒的に不利な条件の範囲内で
私を幸せにしようとしていたから。

幸せに生きるために悩んでいたらしい。

自我は、不可能を可能にしようと
頑張ってくれていたみたい。

悩むことは暇つぶしかと訝しんでいたけれど、
真剣に私の幸せを考えてくれていたのかも。

愛と共に与えられた価値観を採用しつつ、
私の望む幸せを実現する方法を。

あわよくば、容量よく、小賢しく、最短で。

だから、本音が邪魔になった。
だから、なにが自分にとっての幸せかわからなくなった。

楽をして、幸せになろうとしたから、
幸せの指針を失った。

世間的な幸せが、自分の目的にすり替わった。
それがあれば、幸せになれる。
そんな気がしていた。ナチュラルに。

自分と向き合うことより、
人が言う幸せのパターンを欲した。

幸せになるために封印した本音。
なのに、今では、
本音を知ることが幸せの初手になっている。

知れば、安心していられるから。
自分であることに。

何をしでかすかわからない自分を
恐れなくてすむから。

本音そのものに、摩擦はない。

感情が暴走するのは、
本音を押さえ込んでいたから。

私であれば、摩擦はない。

私である限り、暴走はしない。

本音に理屈は通用しない。
理性や価値観を超えた本能だから。

本音は純度100%。
食い違わない。
矛盾しない。

私の中にある唯一の無矛盾。

人は矛盾した生き物などではないのかも。

私の本音は、無矛盾である。

食い違うのは、本音と世間体。
世の中の常識。多数の意見。

けれど、多くの人の意見なんてものは、
その人自身の本音とは限らない。

与えられた情報に
左右されているだけなのかも。
私みたいに。


幸せは、条件ではなく、状態。

本音を知ること。
自分の望みを知っている事。
得意不得意を選べる事。
自分の才能に気づいている事。

自分にとってのよい選択が出来ること。
望む未来を選ぶことができること。

誰かの幸せをトーレスするのではなく、
自分が幸福になる選択が出来ること。

とは言え、未来は不確定なので、
幸せにすると決めている
くらいでいいのかな?

自分の幸せを、優先する。
確約されない未来を信頼している。
幸せになっていいと思っている。
なるとかなると思っている。

現実を必然として受け入れる覚悟がある。

世界と自分を信頼している。

言葉にするのは、とても簡単。
けれど、
思い描く現実を生きようとすると、摩擦が起きる。

受け入れたくないのは、現実ではなく、自分。
私の正しさが通用しない世界。

いい人でいたい。
認められたい。赦されたい。愛されたい。
受け入れられたい。笑っていたい。

そのために、本音を隠して、頑張ってきた。

自分以外に必要とされるためには、
本音が邪魔だった。

そんな私が本音を必要としている今なら?

本音といられるなら、
誰かに必要とされなくても、
安心していられるのかな?

私を幸せにしようと思うのなら、
本音は心を開いてくれるだろうか?

内心の自由を貫くために、
自分のダークな本音と向き合うために、
それを拒絶しないでいられるために、
望まない現実から逃げずにいるために、
私はなにをしたらいい?

望まない自分や現実に向き合う勇気は、
どうしたら出せるのだろう?

私個人の幸せを、どうやったら守れるのかな?

もしも、現実が私の思う通りにあるのなら、
私の幸せと、世界の幸せが共存できる世界を
願おうと思う。

押し付けることなく、裁かず、責めず、偽らず、
摩擦のない自分で、世間の荒波に呑まれることなく、
ぷかぷかと流れに乗って、私が幸せなりそうな方を選んで、
この世界に少しでも幸せを増やせたら、幸せかも。

私はいつか死んでしまうけれど、
この世界は続いてゆく。

私ないない世界が、
羨ましいくらい幸せであることを願っている。

私個人の幸せが、世界を変えるとは思えないけれど、
毎日、少しづつ幸せを生み出すことができれば、
時代に反映する一滴にはなれるかもしれない。

人間性は変わらない。人は進化しない。
いつまでも未熟で、不完全で、欲深い。

けれど、時代は必ず幸せに向かって発展してゆく。

未来の世界のために、今日の自分を幸せにしよう。

 fumori 

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