引き寄せ達人たちの豊かすぎるマインドの件。
私は、私じゃない。
過去のデータから作り上げられたキャラクター。
設定されたセルフイメージであって、実在しない。
キャラ設定をすることで、事実に色をつけて、
二次小説としての現実を認識するのが、自我の仕事。
なら、私なんて、やめちゃおうかな。
自我なしで、
社会生活を営むことは難しくても、
一人でいる時ぐらいは、やめてみようかな。
なにも考えないで、過ごしてみようかな。
自我が休めば、潜在意識は自由になれる。
潜在意識は、全ての過去のデータが
保管されている知の宝物庫。
トラウマ的な過去の想いを加味しつつ、
現状を認識し、最適解を弾き出す。
んん??
最適解ですと?
なにもしなくても、
むしろ、なにもしない方が、
最適な現実を生きられるってこと?
未来を思い描くのは、
自我の妄想力だと思っていたけれど、
事実を都合よく認識する力が、
自我の才能だとしたら…
あれ?
もしかして、
自我が寄り好みしなければ、
現実は最適解だったりするのかな?
なら、なんで自我が必要なんだろう?
過去の辛い記憶を避けるため。
同じ様な目に遭わない様、細心の注意を払って
そうなりそうな未来を避けてきた。
あとは、顕在意識である自我には、
何考えてるのかわからない潜在意識なんて、
信用ならない。そもそも、怖い。
顕在してくれないから、判断できない。
あとは、潜在意識が願っていることと、
自我の望む未来が同じとは限らない。
バリバリ仕事して、稼いで、お金持ちで、
スタイル良くて、みんなの憧れの的で…
なんて、社会的な成功を、
潜在意識も求めているなんて、思えないしね。
叶ってほしくない潜在的な願望を阻止するために、
自我にガードしてもらってる、とか?
嘘をつくことの悪影響からも守ってそう。
社交辞令でも、嘘をつくと、心がざわつく。
現実に侵食されやすくなるのかも。
嘘のない自分と繋がっていられない状態で、
自我を手放すのは、危うい気がする。
なので、自我を必要としているのは、私。
世の中を渡り合うための仮面として。
けど、ずっとじゃなくてもいいのかも。
自我が邪魔をしなければ、
潜在意識の最適解が現実に反映されるわけでしょう?
最適解であるはずの現状を、
自我の望む現実と比べて、
望まないと認識しちゃうから、
苦しんでるのでしょう?
潜在意識の最適解を、
最善な現実として自我が認識できたら、
最高の人生を生きられるんじゃない?
嫌な現実を、ポジティブ変換するのとは違う。
嫌なものは、嫌だし、
望まないものは、望めない。
本音は曲げない。
ただ、嫌な現実だとしても、今ある現状は、
潜在意識がフル稼働した結論だとしてみる。
潜在意識だとしても、同じ命を共有しているのだ。
人生に益のない選択をするはずがない。
なら、納得のいかない現実は、
望まない現象を最小限に抑えることに
成功した現実かもしれない。
それを、自我の理想論で対応して、
傷口を広げているだけかもしれない。
なら、潜在意識におまかせしてみようかな。
あ。
これが、引き寄せ達人たちのマインドなのかも。
なるほど。無理だよね。
自己受容どころか、存在すら否定してたんだもの。
潜在意識を信頼できるはずがない。
ネガティブな人間が、引き寄せなんかしたら、
ネガティブなことしか起きないよね。そりゃ。
事実をそのまま現実として認識できれば、
最善の人生になるのは、わかる。
ただ、私たちは、
自我を通さなければ、現状を認識できない。
誤植に彩られたの認識を、
事実に近づけるためには、
我を無色に近づけてゆく。
嘘のない自分が、色のない自我だとしたら、
本当に欲しいものを知っているのは、
潜在意識なのだろうか。
少なくとも、
自我の望みは、この命の歓びではない。
お金持ちになりたいのに、
現状、そうではないのも、
何かしら理由があるのかな?
潜在意識にお金持ちの良さを吹き込めれば、
今なら叶うかもしれないのに、
なんでやらないんだろう?
潜在意識を使って、お金持ちになるより、
潜在意識の最適解に興味があるのかも。
私が想定する最高の未来よりも
遥かに上をゆく極上の人生を
潜在意識は導き出しているのかもしれない。
何がしたいのかわからないのは、
最適解の先にある人生に
かすりもしないからだとしたら?
現状の自我が思い描く未来なんて、
途中経過がどれほど素晴らしくても、
行き着く先は、暗澹たる老後だもの。
全然、心弾まない。
逆に、潜在意識の最適解なんて、
出たとこ勝負もいいところ。
何が起きても、
最善だって信じて乗り越えるしかない。
最も避けてきた根性論の世界だ。
そんな不確定な未来なのに、
怖いはずなのに、チラッと好奇心が疼く。
この命の未来に、興味が湧いている。
いつぶりだろう。
そうか。楽しみなのは、
何が起きるかわからないから。
予定調和の未来なら、
この命じゃなくたっていい。
潜在意識の最適解を生きてみよう。
なにが来るかは、いつかの未来のお楽しみ。
丸投げじゃん。本当に。
大丈夫かな?
少なくとも、命の危険はない。
私の潜在意識なら、小心者のはずだから。
それすら、
自我のキャラ設定なのかもしれないけれど。
ま、なんでもいいや。
明日が楽しみな今日を願っていたんだもの。
それが、やっと叶ったんだもの。
試してみるのも悪くない。
今日の命を、潜在意識におまかせしてみよう。
fumori
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